シカゴ交響楽団名誉首席トランペット奏者として50年を超えるキャリアをシカゴ一筋で過ごしたアドルフ「バド」ハーセスが亡くなった。91歳。69年間共に付き添った妻のエイヴィスに看取られた大往生だったそうだ。
オレの音楽院時代の師の一人、ワシントン・ナショナル響のスティーブ・ヘンドリックソンの先生だった。
彼の功績、業績については改めて語る必要もない。
彼の素晴らしさは、シンプルにストイックに人生を生き、それを貫いた事だったと思う。
いつぞやのインタビューでハーセスはこう語った。
And when asked how he would like posterity to remember him, Herseth replied,“as a fairly decent guy who gave it his best every time he had the chance.”
後にどういう風に覚えていて欲しいかを訊かれた時にハーセスは「そこそこいいヤツで、与えれた機会の全てに於いて全力を尽くした人かな」と。この答に気概と粋を感じる。
何度か会っているし、三年前に長年の友人のシカゴ響タガ・ラーセンと共にオレが主宰していたトランペット研究会「X会」の交換留学でシカゴのデポール大学で日米トランペットシンポジウムを開いた時にハーセスがマスタークラスをしてくれた。

そして彼が指にしていた指輪は彼の父親のしていたアイオワ州にある母校、ルーサーカレッジのクラスリング(卒業年は1919年)である。

これだけ世界の人に影響を与えた人もそんなにいない。静かに旅立っていったハーセスはきっと安らかに眠っているだろう。
Thank you Bud, may you rest in eternal peace.
オレの音楽院時代の師の一人、ワシントン・ナショナル響のスティーブ・ヘンドリックソンの先生だった。
彼の功績、業績については改めて語る必要もない。
彼の素晴らしさは、シンプルにストイックに人生を生き、それを貫いた事だったと思う。
いつぞやのインタビューでハーセスはこう語った。
And when asked how he would like posterity to remember him, Herseth replied,“as a fairly decent guy who gave it his best every time he had the chance.”
後にどういう風に覚えていて欲しいかを訊かれた時にハーセスは「そこそこいいヤツで、与えれた機会の全てに於いて全力を尽くした人かな」と。この答に気概と粋を感じる。
何度か会っているし、三年前に長年の友人のシカゴ響タガ・ラーセンと共にオレが主宰していたトランペット研究会「X会」の交換留学でシカゴのデポール大学で日米トランペットシンポジウムを開いた時にハーセスがマスタークラスをしてくれた。

そして彼が指にしていた指輪は彼の父親のしていたアイオワ州にある母校、ルーサーカレッジのクラスリング(卒業年は1919年)である。

これだけ世界の人に影響を与えた人もそんなにいない。静かに旅立っていったハーセスはきっと安らかに眠っているだろう。
Thank you Bud, may you rest in eternal peace.