さて、いよいよ11日の二回を残すのみとなった。


最初にロスの高校生時代(1980年代後半)に初めてレミゼの簡単なオケアレンジの譜面で色んな曲を知った。まだ初演からそんなに経ってない時期だよね。オペラ座の怪人もその時に知った。


その10年後にレミゼもオペラ座の怪人もブロードウェイでやることになろうとは誰が想像しただろう。


そしてその更に10年後にこの帝国劇場で本演出の最後の公演を演奏するとは、まさに真実は小説より奇なりとでも云おうか。


日本でオレがミュージカルを演奏し初めてちょうど大体一年である。塩田明弘との出会い、他の色々なオケメンバーや役者の仲間達との出会い。楽しいし燃える日々。レミゼの公演はそれぞれの想いが重なり、ぶつかり、気迫のこもった公演になった。


これから日本のミュージカルのレベルはさらにもっともっと上がると思う。もちろんブロードウェイにはエンターテイメントの街のDNAを背負った重みがある。でも日本にはブロードウェイにないものもあるし、モノ造りに対するストイックな探究心等は逆にブロードウェイに無いものもある。そうしたものを踏まえてもっとダイナミックに、もっと奥行きのある世界を創りたい。


日本のウイスキーが五大産地の1つ「ジャパニーズ」として認知されたように、そんな世界がきっとミュージカルでも出来ると思う。


今は音楽家人生でミュージカルの割合が増えているけど、自分の特性を考えたらとても合っていると感じる。今後どれぐらい続けていくのかは神のみぞ知るだが、やっている内はガンガンにブチ込まないとね。


6月3日からの7日間でレミゼ/ヅカ13公演の怒涛のスケジュールも全開で乗り切った。


11日、無心でそこにあるものを感じるだけ。


震災後の稽古、プレビュー初日の思い出が走馬灯の様に甦る。One Day Moreでの「今日も…一日を生き延びた」というのが異様に現実味を持ったものだ、とジョン(ケアード)に話したが、その日々が1つのゴールに到達しようとしている。揺れる劇場の中で公演を続けたり、暗くなった街並みの中で絶対に負けねえ、という想いを胸に持ったこと、旅立っていった祖母の通夜の後の不寝番でレミゼのナンバーをアカペラで吹いた事、色々思い出す。


4月8日のプレビュー公演初日、一幕終わりに帝劇を揺らした拍手は一生忘れない。


感慨深いね。