この1ヶ月、そして今回のレミゼを通して自分が一つ一つの音の言葉からさらなるスピリチュアルな要素を感じ、自分のエネルギーを凝縮して込めているのが感じられる。
演者として、作品を創る中で、その過程で自らがお客になっては本来のエネルギーが表現出来ないことも多いんだ。作品に共感、感動してその精神のパワーを共有しつつも、演者は自らが思い描くものを正確に映し出す事も出来なければならない。氷と炎の同居だ。この二極に見える2つの要素は根底で同質だと思う。その2つの要素のバランスがその日の「出来」を決める。
でも、「出来」の奥に真実があり、「批評」に真実はない。だから、その舞台の奥深さは、表面的になぞった「一期一会」の受け売りや自らの先入観から解放されるのが大事だ(まあ、あまりにも酷ければ別だがね
)。
自らの感性のキャパが感じ取れる物、質を決定するわけだから、あたかも免罪符を持ったかのように限界のある自分の好みに基づいた非建設的意見を世の中に喧伝するのが如何に不毛で馬鹿げたことか、少し考えればわかるはずだ。
それより、感じよう。考えよう。Don't think, feel!と良く云われるが、オレはそうは思わない。They go hand-in-hand.
演者として、作品を創る中で、その過程で自らがお客になっては本来のエネルギーが表現出来ないことも多いんだ。作品に共感、感動してその精神のパワーを共有しつつも、演者は自らが思い描くものを正確に映し出す事も出来なければならない。氷と炎の同居だ。この二極に見える2つの要素は根底で同質だと思う。その2つの要素のバランスがその日の「出来」を決める。
でも、「出来」の奥に真実があり、「批評」に真実はない。だから、その舞台の奥深さは、表面的になぞった「一期一会」の受け売りや自らの先入観から解放されるのが大事だ(まあ、あまりにも酷ければ別だがね
)。自らの感性のキャパが感じ取れる物、質を決定するわけだから、あたかも免罪符を持ったかのように限界のある自分の好みに基づいた非建設的意見を世の中に喧伝するのが如何に不毛で馬鹿げたことか、少し考えればわかるはずだ。
それより、感じよう。考えよう。Don't think, feel!と良く云われるが、オレはそうは思わない。They go hand-in-hand.