さて、西は今日は
かな。
グルメや音楽で顧客や聴衆の総批評家現象がある。
オレ個人的には言葉の形骸化を顕著に感じる。店、演奏等は空気感のアンサンブルであって顧客もその一部と考える。それは堅苦しいものではなくて、その「たしなみ」を知る事に依ってその時間、空間が最も楽しめ、本来の意味で自由である。
自由≠無秩序である。これは自明の理であろう。「なにやっても自由じゃん」ていう言葉には落とし穴がある。自由の意味を知らなく、自由が使いこなせない人のそれは公害である。また、そういう人達が「なんとなく」批評、弾劾の傾向が強い割には他人から自分に対して同じように断定されたら「私の事知らない癖になんだ」と逆ギレする発想を持つ傾向がある。
「お客様は神様」という言葉があるけど、それは顧客が顧客足る意味を考えた上での日本的謙譲の美徳がお互いに存在しての話で、それを弁えない品性下劣な人間がどちらかにいたらそれは「貧乏神、疫病神」でしかない。
「自分の好み」云々と云いたい気持ちは分かるけど、思考停止で「好み」に拘っても進歩はない。広い世の中、個人の好み、思い込みなんて人生の中の0.0001%だよ。
そこから意識が解放されなければいつまで経っても自意識の枠から出られない。
世の中、「商品価値」という付加価値が存在する以上、感覚的な「高い安い」はある。でも「値段に見合った価値が得られない」のは、商品と顧客のアンサンブルが成立してないだけで、誰が偉くて偉くないの問題じゃない。
これは素人玄人云々は関係ないと思う。「高い」物に手を出すにはそのリスク、意味を知る、だって、高い物を買うときに予備知識なしに衝動買いしないでしょ。その上で狭義な思い込みという固定概念を捨てて色々学んでから臨むといいと思う。
日本料理の基礎を知らずに懐石食っても絶対「高い」としか思わないから笑 そういう人が「高い」なんて喧伝しても世の中のためにならないし、「バカだなあ」と思われてる事に気付かない。
まぁ飛躍した表現だが、オセロの序盤で自分の色が多かったら勝ってると思い込むレベルの発想である。学ばなければ進歩はない。批判するのは自由。だがその批判が真っ向から挑戦されたら「素人」だからって逃げるのは許されない。「素人」に学習忌避の免罪符はないんだよ。物事をより楽しみたければ学ぶ。これ、人間としての基本、鉄則
かな。グルメや音楽で顧客や聴衆の総批評家現象がある。
オレ個人的には言葉の形骸化を顕著に感じる。店、演奏等は空気感のアンサンブルであって顧客もその一部と考える。それは堅苦しいものではなくて、その「たしなみ」を知る事に依ってその時間、空間が最も楽しめ、本来の意味で自由である。
自由≠無秩序である。これは自明の理であろう。「なにやっても自由じゃん」ていう言葉には落とし穴がある。自由の意味を知らなく、自由が使いこなせない人のそれは公害である。また、そういう人達が「なんとなく」批評、弾劾の傾向が強い割には他人から自分に対して同じように断定されたら「私の事知らない癖になんだ」と逆ギレする発想を持つ傾向がある。
「お客様は神様」という言葉があるけど、それは顧客が顧客足る意味を考えた上での日本的謙譲の美徳がお互いに存在しての話で、それを弁えない品性下劣な人間がどちらかにいたらそれは「貧乏神、疫病神」でしかない。
「自分の好み」云々と云いたい気持ちは分かるけど、思考停止で「好み」に拘っても進歩はない。広い世の中、個人の好み、思い込みなんて人生の中の0.0001%だよ。
そこから意識が解放されなければいつまで経っても自意識の枠から出られない。
世の中、「商品価値」という付加価値が存在する以上、感覚的な「高い安い」はある。でも「値段に見合った価値が得られない」のは、商品と顧客のアンサンブルが成立してないだけで、誰が偉くて偉くないの問題じゃない。
これは素人玄人云々は関係ないと思う。「高い」物に手を出すにはそのリスク、意味を知る、だって、高い物を買うときに予備知識なしに衝動買いしないでしょ。その上で狭義な思い込みという固定概念を捨てて色々学んでから臨むといいと思う。
日本料理の基礎を知らずに懐石食っても絶対「高い」としか思わないから笑 そういう人が「高い」なんて喧伝しても世の中のためにならないし、「バカだなあ」と思われてる事に気付かない。
まぁ飛躍した表現だが、オセロの序盤で自分の色が多かったら勝ってると思い込むレベルの発想である。学ばなければ進歩はない。批判するのは自由。だがその批判が真っ向から挑戦されたら「素人」だからって逃げるのは許されない。「素人」に学習忌避の免罪符はないんだよ。物事をより楽しみたければ学ぶ。これ、人間としての基本、鉄則
