and here comes August!!
Time flies...
早い。2010年も、8月に来てしまった。
最近、アメリカやヨーロッパの友人達から、何やってんの、元気~? 的なメールがたくさん来る。元気だよ~と伝えるには伝えるが、なんか自分の文面に躍動感が足りない。
教えていた長崎の子達が学校の歴史で初めて吹奏楽コンクールの九州大会進出を決めた時に生徒に電話を貰った時の深い歓喜の声に感動して島根の料理屋で思わず「よっしゃあ!」と吼えた、そんな感覚。ああいう血がたぎる感覚。
それを求める自分がいる。
人生の様々なステージで人は違うように感じる。まさにアーヴィン・ドレイクスの名曲をフランク・シナトラが心を打つ素晴らしい歌唱力で届ける「It was a Very Good Year」の歌詞のエスプリそのもの。またネルソン・リドルのアレンジが本当にいい所を突いてるなぁ…素晴らしい。
度々思う。18歳の若き心に晩秋の円熟は歌えない。しかし晩秋の老練にも18歳の初々しさを実感は出来ない。それをほぼ同じように演じることは出来ても、リアルタイムの一期一会は表現できないかも知れない。
年相応を演じればいい、という意見もある。勿論そこにはある程度の真実がある。
しかしその概念は、時に直感をたしなめ、否定する。人間の直感というのは、その常識で縛られない方向に人を導く事だってあるんだ。
ファンタジーの持つ超越的なエネルギー、そこにロマンを感じ追い求める冒険心…それを感じる事に依って人の心に生じるであろう脆弱性を知りながら、敢えてそれに懸ける事が出来るのが芸術家という人種なんだ。
歳を重ねると物事を知り、常識をわきまえ、平安を愛す。なので既成概念の枠、しがらみに囚われやすい。
しかし、直感に身を委ねる勇気と覇気を捨てたら芸術家としてはおしまいだ。常識を強要される世界を敢えて拒否する芯を持たねばならない。
それは概して「大人げない」とされる。確かに。だが、大人げないふるまいを否定する価値観を育んでいたら最初からこんな道を選んでない。
自分は理論的な人間ではない。理論は知るが、自らの直感に絶大な信頼を置く人間として、その直感で得たインスピレーションが常識のフィルターを通るそのもどかしさを最近よく感じる。
自分の一番の武器は、楽器の概念や奏法うんぬんではない、その音楽のその場面でこれだ、という絶対自分にしか出せない「ザ・サウンド」を生み出す力である。それが無くなれば、そこそこ楽器の吹けるただの木偶の坊である。
だから、この些細な事に拘るんだ。
静かなる試練。厳しい道程だが、結局自分で登らねばならないのだ。今月38を迎える我が身への戒めとしておきたい。
Time flies...
早い。2010年も、8月に来てしまった。
最近、アメリカやヨーロッパの友人達から、何やってんの、元気~? 的なメールがたくさん来る。元気だよ~と伝えるには伝えるが、なんか自分の文面に躍動感が足りない。
教えていた長崎の子達が学校の歴史で初めて吹奏楽コンクールの九州大会進出を決めた時に生徒に電話を貰った時の深い歓喜の声に感動して島根の料理屋で思わず「よっしゃあ!」と吼えた、そんな感覚。ああいう血がたぎる感覚。
それを求める自分がいる。
人生の様々なステージで人は違うように感じる。まさにアーヴィン・ドレイクスの名曲をフランク・シナトラが心を打つ素晴らしい歌唱力で届ける「It was a Very Good Year」の歌詞のエスプリそのもの。またネルソン・リドルのアレンジが本当にいい所を突いてるなぁ…素晴らしい。
度々思う。18歳の若き心に晩秋の円熟は歌えない。しかし晩秋の老練にも18歳の初々しさを実感は出来ない。それをほぼ同じように演じることは出来ても、リアルタイムの一期一会は表現できないかも知れない。
年相応を演じればいい、という意見もある。勿論そこにはある程度の真実がある。
しかしその概念は、時に直感をたしなめ、否定する。人間の直感というのは、その常識で縛られない方向に人を導く事だってあるんだ。
ファンタジーの持つ超越的なエネルギー、そこにロマンを感じ追い求める冒険心…それを感じる事に依って人の心に生じるであろう脆弱性を知りながら、敢えてそれに懸ける事が出来るのが芸術家という人種なんだ。
歳を重ねると物事を知り、常識をわきまえ、平安を愛す。なので既成概念の枠、しがらみに囚われやすい。
しかし、直感に身を委ねる勇気と覇気を捨てたら芸術家としてはおしまいだ。常識を強要される世界を敢えて拒否する芯を持たねばならない。
それは概して「大人げない」とされる。確かに。だが、大人げないふるまいを否定する価値観を育んでいたら最初からこんな道を選んでない。
自分は理論的な人間ではない。理論は知るが、自らの直感に絶大な信頼を置く人間として、その直感で得たインスピレーションが常識のフィルターを通るそのもどかしさを最近よく感じる。
自分の一番の武器は、楽器の概念や奏法うんぬんではない、その音楽のその場面でこれだ、という絶対自分にしか出せない「ザ・サウンド」を生み出す力である。それが無くなれば、そこそこ楽器の吹けるただの木偶の坊である。
だから、この些細な事に拘るんだ。
静かなる試練。厳しい道程だが、結局自分で登らねばならないのだ。今月38を迎える我が身への戒めとしておきたい。