大野敏隆 選手を思う | 残留戦線

大野敏隆 選手を思う

手術離脱から、復帰したのが2008年33節の横浜FM戦でした。

11月の頭に練習を見に行ったら、グラウンドの外周を疾走してコンディションを上げてました。

だから怪我の影響については、それ程影響は無い様に見えてました。

当時、降格争いに加わっていたヴェルディ。

柱谷監督は、メンバーを右SB以外は固定していた時期でした。

これが、復帰後の試合出場の機会が22分に限られた原因です。

戦力外通告を受けて、トライアウトにも参加しませんでした。

これが他のクラブから、怪我の影響も計りかねる見方もあり……。

声がかけにくい、実力のある選手の1人となった様です。

加えて経済的な理由で、ベテランの獲得を考慮しない傾向がJリーグにあります。

余談になりますが、2008年11月頃、ヴェルディ公式携帯サイトで、メンバーを固定しないで戦った方が良いとの考えも示してました。

攻撃面で物足りなさや、ショートカウンター意識の低さが問題でした。

オフェンス陣に、チームの弱点を補う選手が必要だったのかもしれません。

それは、井上平の献身的なプレーだったり……。

河野広貴の、仕掛けるプレーだったのかもしれません。

平本のワントップが安定していたので、ディエゴの出場停止は大野が代役として起用出来れば良かったのかもしれません。

大黒のスタメン出場試合は、柏・FC東京の2試合しか勝てませんでした。

2008年は大黒をジョーカーで起用し、平本のワントップで中盤を5人にする事が安定感を生んだ様に思い返されます。

その考え方ならば、11月にスタメン出場したのは大黒将志では無く大野敏隆だったでしょう。

なお、2chでスレが以前あり……。

母校で練習していたといった、情報が書き込まれていました。

リーグ戦でアピール不足であった選手や、怪我を経験した選手が……。

実績も実力をも持ち合わせていようとも、オファーを得られずらい傾向はあります。

選手はトライアウトに活路を見いだし、海外に新天地を求めたりもします。

今この瞬間も、静かにプレーする場所を探している選手もいるのでしょう。

大野敏隆選手が、元気にピッチを駆ける姿は私も見たいです。