日本人の精神 | 残留戦線

日本人の精神

本日、17:45から18:00までの放送だったと思います。

土曜オアシスという番組について、ラジオ第二放送。

アナウンサー柿沼郭が語っていた、

「宝物を探し出せ」

という、インタビューアーとしての話だった。

ボードを使った進行は、話の脱線や時間配分を守る為らしい。

ボードがあると、先に結論を示せて話を進め易いのだそうだ。

現実世界のボードは、示す事を良しとしない風潮すら日本にはある。

西洋では、神に対する宣誓がこれに当たる。

宣誓をしない代わりに、日本では御天道様への畏怖があったと言える。

農耕民族が、太陽を軽んじる事はアイデンティティを否定するに等しい。

「日の目を浴びる」という言葉もある。

月見草や、向日葵と言った野村克也も………。

現役時代は、太陽に誓って禁酒を断行したのだろう。

一人の人間が、太陽と向かい合う事。

これが、日本における精神の原点に感じられる。

新渡戸稲造は、武士道が日本人の精神模範だとは言った。

しかしその武士道精神の押し付けこそが、明治政府の方針であった。

武士道精神は、体制維持並びに強化の為に作られた。

天皇家を祭り上げた組織に属する、階級社会。

個を示すのが、位であった。

全て、何等かの階級にカテゴライズされた。

階級は、租税を相応に納めさせる為である。

階級を決めてやるから、身の程をさらけ出せという仕組みである。

「出る杭は打たれる」のが、当たり前である。

階級というランキングの前では、足の引っ張り合いが起こるのである。

そこに新風を起こしたのが、茶の湯。

茶室では、身分や立場を越えた。

同じ茶腕を回し飲み、太陽が注がれたかの様に崇めるのである。

一杯に御天道様の精神を込めたとも、解釈出来る。

また茶の湯を権力文化と位置付け、同時に高度な政治の場ともした。

そして、論功行賞として織田家では執り行われた。

茶器一つを所望したくて、身を粉にして働き………。

結果的に、茶の湯から遠ざかってしまう………。

関東の司令官のポストを任された滝川一益は、大変にガッカリしたと言う。

鉄砲の名人で、忍者出身とも言われる彼が………。

茶の湯に魅せられたのは、血なまぐさいやり取りに無常感を覚えたのでは無いだろうか。

つまりは、叩き上げの軍人も文化人に育てるのが茶の湯である。

そして、功を立てようとモチベーションを感化させられる。