ヴェルディと、僕abq。その1 | 残留戦線

ヴェルディと、僕abq。その1

CoCo壱番屋で、4月11日夜。店置きのスポーツ報知でフッキ復帰戦とシーズンシート追加販売の記事を見ました。

その瞬間に、初めてヴェルディーサポーターとなりました。

2001年、10月。

エジムンドを東京スタジアムの、G大阪との試合で初めて観ました。

降格争いを制し、彼が来季のプレー続行を決めた時。

私はオーナーズシートを、購入したいと思いました。

2002年、柴崎がキャリア2試合のゴールマウスを守った市原戦。

試合途中からスタジアムで、観戦しました。

リードを許した試合で、気力の見せられない大悟へ。

試合後のバックスタンドへ挨拶を終えた後に、「試合ブン投げてるんじゃねーぞ」と一喝した事もありました。

オジーが監督に決まった2003年6月からの戦いぶりから、再び2004年にオーナーズシートが欲しくなりました。

そして2005年、1月1日を読売クラブ時代から数えて5回目。読売ヴェルディ時代には96年の一度。東京ヴェルディとして、初めてのタイトルと大会賞金1億円を獲得しました。

その後に待ち受けていたのが、降格です。

そのシーズン、私は柏の入れ替え戦を小瀬と日立台で体感しました。

日立台はチケットが手に入れられずに、スタジアムの外でサポーターの心が静まっていくのを聞きました。

バレーに好き勝手やられて、降格したのです

私はこの結末を受け入れる前に、小瀬での第一戦試合後にスタジアム外で貴重な体験をしていたのです。

ホテルを取っていたので、選手バスが出るまで待ってました。

試合後バスに乗り込む際のラモスさんの、苦しげで悲しみに満ちた顔を忘れません。

笑顔で独り帰途に着くバレーとは、全く住む世界が違うかの様な錯覚を覚えました。

(ブラジル人選手は、試合後独りで帰る事がある。)

2006年3月はヒュンダイとの国立でのゲームを見に行きました。

国立にてA3を舞台に見て私がスタジアムで見て来たイ・チョンスが、人気をさらに増してピッチに立っていました。

菅原が右サイドよりの中盤でクロスボールをゴール前へ入れられるタイミングに…………。

彼は逆サイドにグラウンダーのパスを通そうとしたのだったか、カットされてイ・チョンスへとパスが渡りカウンター。

スピードあるドリブルから、決勝点を奪われました。

私は菅原に、乗り越えなくてはいけない壁がその時。

彼の足元から、現れた事を感じました。