今より少し人生を早送りした後のような視点で、
書いてみることにする。
エリートに歪んだ人や欠落している人が多いというのを、
おそらく私は16歳で体感した。
別に全員がそうではないし、
平均的な地位や、
被差別側にされそうな立場の人にもダメな人はいくらでもいる。
何にせよ、
あまり質のいい異性と関われる機会が少なかった、
という言い方にでもしておこう。
その12年後に、私は結婚する。
12年間で自分が抱いた異性への印象の悪さを、
全く消化など出来ぬまま結婚したことになる。
今考えると。
ただ28歳当時は、
みなそのくらい人間に対して印象が悪いものなのだろうと思っていた。
結婚は今年で11年目になる。
三年目で、夫を嫌いになった。
嫌いになったと言うか「コイツもダメだ」と思った、
に近い。
今も死にたいけれど、
そこからの数年間はさらにそれが辛かった。
身体の痛みも今よりずっと酷かった。
異性の印象の悪さに、
夫もしっかり加担したことになる。
今から6年前に見知った男は、
見知った4年半後に実際会った経験をもってして、
私の中の異性の印象の悪さに拍車をかけなかった。
今考えればそういう男も何人かはいた。
けれども、その中でも異質さが抜きん出ていたことは否定できない。
異性への印象がとてつもなく悪い私にとっては、
その異質さは救いだった。
相手の対応と反応を鑑みると、
私もあちら側からしたら異質な異性だったのかも知れない。
相手も異性への印象が悪いことは確実にわかっている。
悪いことにも気づいていないかも知れないけれど。
ただ、
感覚的にどこかではわかっている、
そんな感じであろう。おそらく。
哺乳類ではあるけれど、
俗世がいうような性質からは少し距離を置いて対峙する。
私の演奏の感想に共通してある概念や言葉はあるが、
自分で自分のを聴いたとき、
循環器系に訴える出来になっているという自負が少しある。
男性ピアニストでそれが出来る人は、
今のところ知らない。