自由とは何か?
自由とは、責任である。
今の人間世界で(あるいは自然界でも)、
人間が思い描く自由を手に入れる事はできない。
自由には責任が伴う。
規則を守るも守らないも、自由といえば、自由。
しかし、守らなければ、それなりの責任が問われる。
警察に捕まれば、罰金や投獄と、罪を償わなければならない。
警察に捕まらなければいい。
警察にばれなければ良いという考えは、
誰しも持っている物である。
学校で行われる服装検査みたいなものだ。
警察がいる時に悪い事をしなければいい、とね。
しかし、規則が設けられるのには、理由がある。
疑問を持つ事が、己を守るように、規則を守る事は、己を守る事でもある。
例えば、ここ数年、交通規則を守らない車が多い。
というより、規則を守っている車の方が稀だ。
制限速度が何故設けられているのか?
何故信号があり、一時停止があるのか?
カーブミラーを利用しない人も大勢いるようだ。
ほとんどの人は幼い頃から車になれているせいで、
車が危険な物だという事を忘れてしまっている。
そのスピードに慣れてしまい、感覚がマヒしているのだ。
車が走るさつ戮機になり得る事を忘れてはいけない。
私は怖くてそれほどスピードを出せない。
怖くて運転中に携帯電話をいじれない。
運転以外の事に集中する事ができない。
制限速度を守るし、ジグザグ運転もしない。
右折車を無理に追い越そうともしない。
最近驚かされるのだが、baby in car と誇示している車に限って、
一般道で高速並みのスピードを出し、ジグザグ運転をしている。
その時に baby が in car していなかったのだとしても、
普段そのような危険運転をする人が、赤ん坊が車に乗っているからといって、
そこまで変わるとは思えない。
若者の危険運転もそうだが、お年寄りの運転も危ない。
周りを見ない、自己中心的な運転をする人が多い。
判断力の衰え、視力の衰え、車を運転するには危険すぎる。
私は車間距離を必要以上にあける。
事故は起こしたくないし、巻き添えにもなりたくない。
事故るなら、一人でやってくれと叫びたいね。
規則を守らないのは、個人の自由だ。
再度言うが、規則が設けられているのには理由がある。
規則はある意味、安全のバロメーターだ。
規則の中で自由に生きる。
それが賢い人の生き方だ。
法律で悪いと定められているかどうかではなく、
”生きる”という神秘的な過程の中での善し悪しによって、
悪事はばれ、善は称えられる。
法律による善し悪しで生きていてはいけない。
この宇宙の規律の中での善し悪しで生きるのだ。
もちろん、多くの人間はそのような事は忘れてしまった。
何が悪で、何が善なのか、その判断ができなくなっている。
だからこそ今この世界に平和はない。
人間本位で物事を考えていては、個々の心にも、
この地球にも、平和は訪れない。