無意味な世界に意味を求めて -4ページ目

無意味な世界に意味を求めて

ようこそ腐りきった世界へ

私はいつの間にか、”人間”とか、”犬”とか、”キリン”といった区別をしなくなっていた。


私は元々、人間においても、その人の”長所”や“短所”といった概念がない。


一般的に”短所”と言われる性格や癖は、”拒否されている”。


”長所” ”短所” と ”区別”をすることで、実は”差別”が生じている。


それは、もっと大きな分類においても言える。


例えば、ハエや蚊と言った虫は”うざいもの”と人々の頭の中で分類される。


そこで、ここにA君の頭の中の分類を例にして、区別が差別になる過程を描こう。



A君は、ほとんどの人がそう思うように、ハエや蚊を”うざいもの”に分類している。


A君の学校には、B君という引っ込み思案で、運動もできない子がいる。


先生に質問されてもウジウジしている。


A君はそのB君がうざくてしかたがない。


ここでA君の頭の中では、”ハエ、蚊、B君”は”うざいもの”と区別された。


ハエや蚊は、皆平気で命を奪う。


だから、A君がB君をいじめる事は、ハエや蚊をころすのとなんら変わりない事になってしまうのだ。


わかってもらえるだろうか?


私が小学低学年の時は、まだ週に一度、道徳という教科を習っていた。


あの教科は大好きだった。


それが”ゆとり教育”という物が始まり、土日が休みになり、道徳もなくなった。


学校教育が子供達に及ぼす影響を、誰か調べているだろうか?


親は子供を学校へ通わせる事を義務付けられている。


でも私は思う。


子供のころから集団行動を教え込まれ、ゆとり教育ならぬ詰め込み教育のために好奇心を奪われた子供たちは、


人間の屑となり果てる。


自分の取った行動が導く結果を考える事のできない大人になり、


人の言う事を聞く以外なにも出来ない役立たずに育つのだ。


自分の出したゴミさえ始末のできない、みっともない大人になるのだ。


ちょっとしたルールすら守れない、最悪な人間になってしまうのだ。


もう一度言おう、



私はいつの間にか、”人間”とか、”犬”とか、”キリン”といった区別をしなくなっていた。


私は元々、人間においても、その人の”長所”や“短所”といった概念がない。


犬はこういう飼い方をするのが一番良い。


言い換えれば、


犬はこういう飼い方をすれば、一番人間に迷惑がかからない。」


と言う事。


牛、豚、鶏などの家畜や魚は”食べ物”という区別は、家畜や魚を極限まで苦しめる結果となった。


一般的に”毛皮動物”と区別された動物達もまた、極限まで苦しめられている。



どうせころす生き物だ、丁寧に扱う必要などないとでも言うのか。


それとも、日ごろ溜まったストレスの発散なのか。


自分より弱い者と分類されたものを力で制御することで、優越感を味わっているのか。


私には理解できないが、いじめ、虐待、虐さつは、”区別”や”分類”から始まる。


つまり、”区別”や”分類”の仕方を変えると、世界はガラリと変わるのだ。


例えば、人間、犬、キリンではなく、”この地球という星に住む生き物”と分類する。


ハエや蚊は確かに”うざい”。


でも、そんな人間にとってはうざい、無意味に思える存在も、この地球の秩序を保っているのだ。


運の悪い事に、子供は大人のする事を見て育つ。


そしてもっと運の悪い事に、子供はハエや蚊さえ、自分達と同じ様に生きているのだと、幼い頃は認識している。


それを親がころしているのを見れば、うざいものはころして良いのだと認識してしまうのだ。


自分の取る行動にもっと責任を持とう。


自分の取った行動がどのような結果を導くのか、もっと考えよう。


誰かのせいにするのではなく、自分を見つめなおそう。


かの有名な歌手がこう歌っている。


世界を変えたいなら、鏡に映っている奴から変えるんだ


そう、自分が変わらなければ、世界は変わらない。


自分が変わらなければ、世界は良くならない。


そして誰もが、このままではいけないと感じているはずだ。