私はなぜだか執着されやすいタイプみたいで、そういう人と何年か毎に出会う。
軽いものだと学生の頃、バイト先で一人の女の子と仲良くなって、
私が違う人と話していただけで泣いてしまい、更衣室に閉じこもってしまい、
仕事中に上司に呼ばれ、彼女をなだめた記憶がある(その子はその日で辞めてしまった)。
そして強烈に覚えているのが、新婚の頃少したってからだから、
28か9歳くらいにパート先で出会ったロシア人の女性だ。
私より少し年上だった彼女は、シングルマザーで4人の子供がいた。
そしてたくさんの動物を飼っていた。
出会ったパート先がペットショップだった。
彼女は弱った動物を引き取って面倒を見たりする人だった。
私はなぜだか彼女に気に入られて、私も最初は優しい彼女が好きだったので新しい外国のお友達ができたことを普通に喜んでいた。
恰幅の良い、いかにもロシアのママンという感じのとっても美人な彼女は、昼はペットショップ、夜はスナックのママをしていた。
まずは毎晩電話がかかってきた。超長電話。
当時の私は断れない人だったので、毎日付き合った。
それから私も私で悪いことに、いつもドアが開いていた彼女の家に行って子供の面倒を見たり、掃除したり、たまった洗い物をあらったりしていた。
私の悪い特性であるこの「尽くしてしまう」ことが大爆発していた。
ある時、彼女は自分が癌であると私に告白してきた。
私は大号泣した。
なんでもする、と思った。
色んな所に彼女と彼女の子供たちと、あるいは彼女と2人で遊びに行った。
ある日酔っぱらった彼女が「みことホテルに行きたい」と言い出した。
こればっかりは私は無理だと思い笑いながら断った。彼女はマジだった。
もちろん断って何もしていない。私がデニムを履くと、いいケツしてんなーみこは、っていつも言ってた。
たくさんのプレゼントもくれた。まるで愛人だった。
それだけなら良かったが、彼女は何回も子供の前で大量の酒と薬を飲んでは自殺未遂をし、そのたび長女や本人から電話がかかってきた。
多分、私の気を引きたかったんだろう。
私はぶんぶんに彼女に振り回され、やっと離れないといけないことを感じた。
精神科へちゃんと受診し入院になった彼女は、癌ではなく、境界性パーソナリティー障害だった。
あと躁鬱だったか。
私に関心を持ってもらうため、癌、といったようだ。
疲れ果ててしまった私は、彼女から離れた。
書ききれないエピソードがたくさんあるのでかなり端折っている。
動物をたくさん飼ってしまうのも、場合によってはパーソナリティ障害の症状だったりする。
アニマルホーディング障害という。アニマルホーダーともいうみたいで。
私が妊娠中に、彼女の長女から電話がかかってきた。
「ママが死んだ」と。
彼女は男の人からモテモテで、次から次へという感じで、そんな人が最期は一人で亡くなったらしい。
飲酒が原因で誰かわからないくらい浮腫んで、腹水がたまり亡くなったそう。
まだ小学生だった次女ちゃんが「ママが死んだのは哀しいけど、ほっとした。」と言ったらしい。
その気持ちが痛いほどわかって、当時幼稚園児だった次女ちゃんが、私にベタベタ甘えていたのを思い出したら泣けてしまった。
大人の愛がほしかったんだろうなぁ。
長女は私にママの代わりになって欲しいと言ってきた。
そういう彼女も結婚をし子供を産んでいた。
私はもうできない、ごめんなさいをして彼女の電話をその日からブロックした。
私とロシア人の友達の関係は、「共依存」みたいな関係だった。
私もどこか彼女に依存していたのかもしれない。
けど異常に気が付いて、離れたりくっついたりしながら、別れて、本当に永遠にお別れした。
40代で亡くなった彼女の人生は濃くて、早すぎた。
私にはどうすることもできなかった。当たり前だけど。
ただ、私は彼女のいいところもたくさん知っていて、いまでもそういういいところの彼女は好きだと思う。
私以上に激しい彼女の愛を受け取るのは大変だったけど、今ではそれも楽しかったと言える。
人に執着するのは絶対よくないから、私は彼女から学んだことを大事にしている。
ちゃんと人と自分の間に線を引く。これは、私には大事な事だ。
これ以上はしなくていい。
そう割り切れるようになった。
とっても美しい顔の彼女の遺影を忘れることができない。
多分一生忘れないだろうと思う。