祖父は大正生まれのガンコじじいだった。
とても寡黙で、ものすごい距離を歩いたり自転車に乗って遠出しては、山へ行き栗やクルミや山菜など季節のものを取ってきたり、自分の畑でもくもくと作業していた姿が印象的だった。
戦争に行った人で流れ弾を背中に受けたけど、病院が嫌いで行かなかったと祖母が話していた。
もちろん祖母が引っ張って病院に連れて行った。
祖父は警察官で祖母が看護士、濃い夫婦だ。
身長は172㎝、体重は62kg。確かいつもそんなだった。スマートで筋肉質。
とにかく怖い祖父というイメージだったが、酔っ払うと私の名前を呼んで、私は祖父の隣でアテをつまみ、祖父は人が変わったようにわたしをデレて褒めちぎってくれた。
お前はなんでもできる、賢い子。
そう言ってくれた大人は祖父だけだった。
そんな祖父が認知症になったのは、私が働き出してすぐぐらいだった。初めは万引きからはじまり、元警察官が万引きしてどうするの!と、みんなで笑っていたんだけど、万引きは頻度を増し、祖母の後追いをはじめ、まるで子供のようになってしまった。
私は実家を家出して姉と暮らしていた。
父が介護に疲れていたため、交代で私が祖父母の家に泊まりに行った。
寝る部屋に鍵をかけろと父に言われ、かけて寝た。朝方、ドアを開けようとする音で目を覚ました。祖父か。と思って「まだ寝てなよ!」と、ドア越しに声をかけたらあきらめて何処かに行ってしまった。
祖父はあんなにしゃんとした男だったのに、子供のようにご飯を食べ、デザートにアイスを食べていた。アイスは上手く口に入らずダラダラとこぼれていた。
口を拭き、手を拭き、本当に子供だった。
私は祖父の食事の介助をし、仕事の準備をしていたら、しゃがんだ時に出た腰を祖父が触ってきた。
祖母が怒っていたが、私はじいちゃん子だったのでボケて私が私とわからなくても、なんとなく私が好きな事が嬉しかった。
祖父はバスに乗る私の後追いをしてきた。次のターゲットは私なのだ。
「お家で一緒にいたい。」と、まるで恋人のような、子供が母親に言うような感じで祖父は言った。目がきれいだった。子供の目だ。茶色い目。
私と同じ色。
私は急に悲しくなってしまって「またくるからね!」と大きな声で言ってバスに乗った。
祖父は子犬のようにずっと私をみているので、私はバスの中で泣いてしまった。
それ以来祖父に会うのが辛くて仕事ばかりしていた。
急に高齢者施設に祖父は入り、何回も塀を乗り越え脱出を試みたらしい。祖父らしかった。体力は若者よりある人だ。
次に呼ばれたのは、もう、長くないから会いに行こうと父から連絡がきた時。
私は本当に何も考えず施設に行ってしまった。
祖父は寝たきりで、看護士さんは鳥の餌をあげるみたいに祖父の口に食事を突っ込んでいた。
私を見ると祖父は手を出した。私も手を差し出したら、あり得ないくらいの力でぎゅっと握ってきた。
そして祖父は笑った。
もう、何も言えなくなって、悲しいのと苦しいのと自戒の念ととにかくぐしゃぐしゃで、廊下にでて泣き崩れた。立てなかった。知らないおばあちゃんが、泣かないで、と言ってくれてさらに泣いた。
はじめて人の死を教えてくれたのは祖父だった。
祖父の亡骸は美しく、火葬した後の骨は畑仕事で鍛えたせいか太くて、真っ白だった。本当に美しくて、祖父らしかった。
外は雪で、静かな日だった。
親戚の集まりが苦手な私は、コンビニに出かけた。セブンの前でぼんやりと。空を見上げた。
祖父がいる空。
まつ毛に雪を積もらせながら、
イヤフォンでCoccoを聴いていた。
この曲を聴くと祖父を今でも思い出す。
やっと、頭の中の手紙を外に出せた。
あなたの涙を湛え
あなたを呑込む海で
今日に息づく者と
明日ヘ死にゆく者と
この目にはもう
眩しすぎるの
私は誰と泣けばいい?
どこで眠るの?
あなたを愛せていた?
海辺に打ち上げられた
亡骸を覚えている?
まるで珊瑚のような
自分を覚えている?