今年のゴールデンウィークごろ、足利フラワーパークに藤棚を見に行った。電車だったのだが、途中に佐野駅があり、帰りに時間もよかったので、降りて佐野ラーメンを食べてきた。で、その時にちょっと考えたこと。
ラーメンとは何か、麺とは何か。
古来、麦を食すのに人間はいろいろな工夫を試みてきた。
麺にするのも、パンにするのもそうだし、言ってしまえばビールだってそうだ。
小麦の実を細かい粉に挽いて水でまとめておく、それがすべての始まり。焼けばパンになる。煮込めば麺だ。
ただの塊ではなく、細かくちぎる、平打ちにする、細長く伸ばすと、調理時間も短くなることはすぐに発見されただろう。
水ではなく野菜や肉のスープと一緒に煮れば美味しいなんてこともすぐにわかることだ。
さて、そうやってつくられた料理を食べるとき、人は麺とスープどちらを主役だと思っているのか?
麺を食べるためにスープが用意されるものと、逆に、麺はスープの具に過ぎないという二つの分類を考えてみる。
「すいとん」などは明らかに麺が具になっている脇役だが、細長く伸ばされたスタイルの麺、一般に麺といわれてイメージするようなそれは、蕎麦やうどんなど、麺にこだわりを持って売り出されることが多く、「麺を食べるためのスープ」、という関係性であることが多い。
多かった。
麺を主役とする従来のスタイルから、それとは逆のスープ主体の方向に進化したもの、それが日本食におけるラーメンであると考える。
ラーメンの分類をするときに一般に言われる醤油、味噌、塩、とんこつなどといった分類はまさにスープの違いによる分類方法であり、そうした種類でもって語られるラーメンはすべてスープを食べるために麺があるものであり、一方で、「十割蕎麦」「きしめん」など、昔ながらの麺類である蕎麦やうどんは麺の特徴で分類されていることが多いんじゃないか。
ラーメンが人気になったのは、スープ主体への転換、スープの進化という面があったのではないか。(メンだけに)
ただ、ラーメンのなかにも、原点回帰、麺を主体にしたものがある。
博多ラーメンなどはそうかもしれない。細くてアルデンテのようなストレートの固い麺を食べる。
喜多方ラーメンは麺を食べるタイプだろう。縮れたつるつるとのど越しの良い麺を楽しむ。
佐野ラーメンはこの喜多方ラーメンの系譜に連なるもので、青竹で踏まれたぴらぴらの形のいびつな麺が特徴となる。
もちろんスープも美味しいが、スープではなく麺でジャンル分けがされているところに、これらの地域の人々がラーメンというものをどうとらえてきたのか、考えることもできるんじゃないだろうか。
※以上は、裏付け調査も何もなくただ個人の独断と偏見で適当に書いているものです。