三吉演芸場を
映画館から
大衆演劇専門劇場として
リニューアルしたのは
1973年(昭和48年)
その創設者が
大衆演劇興行では
ズブの素人であった
現社長の母・本田玉江
(以下『玉江さん』と呼称)
その杮落しには
近所に住んでいた
落語家の桂歌丸が出演
この事が
三吉演芸場が
自分の持ち物なのに
三吉演芸場を
買わなければ
ならなくなった原因に……
玉江さんは
三吉演芸場で
月末には
落語、漫才、浪曲などを
上演したい
と考えておりやした
そしたら
歌丸から
自分の独演会について
お願いされたのでござんす
喜んだ玉江さん
勿論快諾!
ところが
当時の大衆演劇
『東京大衆演劇劇場協会』
所属の劇団は
1ヶ月契約の縛りで
乗って頂いておりやした
玉江さんは
月末(月最終日)に
独演会を開催したいと考えていたのでござんす
が!
某座長から
「31日は
大事な千秋楽なんで
それでは困る
独演会を断ってください」
とクレームが……
当時の三吉演芸場は
同協会の組合員
素人の玉江さんには
大衆演劇劇団との
ネットは皆無
従って
劇団は
三吉よりも強い立場
さらにその上には
組合(篠原興業)が頂点に……
そこで苦肉の策で
玉江さんが
思い付いたのは
31日のうち
年5回を
三吉演芸場が
三吉演芸場を買う事に……
玉江さんの旦那は
自分の劇場を
自分で買うのはおかしい
と激怒し
組合脱退まで
言い出す始末
それでは
劇団を回してもらえんので
玉江さんは
必死で旦那をなだめた様でござんす
但し、その翌年から
契約を1~30日に変え
独演会の問題は解決し
桂歌丸の定例独演会が
長く続いたのでござんす
ただ
篠原に対する不信が
旦那に芽生え……
その続きはいずれ……