今週の「美の巨人たち」略して私たち…じゃなかった、美人たちは、好きなゴーギャンの絵《説教のあとの幻影》でした!( ゚∀゚)ノモイ!

本作について、この駄ブログでも以前に何度か関連記事を書いていますが、今回の番組で発見だったのは、パルドン祭から何色をイメージしたか?というやりとりがベルナールとあったらしいこと。

ゴーギャンはを、ベルナールは黄緑をイメージして、互いにその違いに気づいたことが大きかったんですね。




ケルト文化が残るブルターニュ地方ポン=タヴェン村
「一日の中に四季がある」といわれるほど、移り変わる天気による色彩が豊かな土地だそうで、安宿も多く、19世紀後半には画家たちが集まるようになり、後のナビ派らを形成した画家の村(行ってみたい)。



その地に伝わる「パルドン祭」を描いたゴーギャンとベルナール。

左:ポール・ゴーギャン《説教のあとの幻影》1888 スコットランド国立美術館
右:エミール・ベルナール《草地のブルターニュの女たち》1888 個人コレクション



ゴーギャンは祭で説教に聞き入る信者たちの信仰心を、ベルナールは祭に参加する女性たちがくつろぐ姿を描いている。


パルドン祭は、カトリック信者たちが伝統的な服装で聖人の墓やゆかりの地を巡礼するというもので、絵画の主題としても人気があったそうな。
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"Batz-sur-Mer Pardon 1988". Licensed under CC 表示 2.5 via ウィキメディア・コモンズ.


信者たちが見ているであろう幻想を現実と結合させて描いたゴーギャン。
一方、ベルナールも民族衣装の地元の女性たちにまじって、パリの友人たちを描きこむなど、そこの現実にあるものとないものを織り交ぜている。

そして、祭の独特な音楽と踊りや衣装、祈りから、前者は赤を感じ、後者は黄緑を感じた。
互いに感じた色が異なると気づいたことが、その後の新しい描き方へと繋がっていったとのこと。



面白いですね~私は何か景色を見ても、音にはなっても色はあまり浮かばないから、画家様にはどんな風に見えるのか興味津々です。
にぎやかな音楽や人の声、衣装や装飾の色、踊りの躍動がめくるめくお祭りは、確かに色にしたら鮮やかそうですね!

また、本作でも浮世絵からの影響が指摘されているゴーギャンは、日本美術に対して「自然からかけ離れていて、しかも自然に近い」と評していたそうですが、実際の色彩よりも精神的なそれを重要視する彼らには、感じるところがあったのかも?しれないですね。


おげーじゅつとは、この世界は私からどう見えているか?を示すものである!なんて文句もありますが、そういう意味では、歴史的巨匠にはどう見えているかも、近所の4歳児にはどう見えているかも、自分には同じように心惹かれるワケはきっとそこなんだな、なんて思ったんだな。お、お、おにぎりが好きなんだな。


ではでは~もいもいおにぎり