PEUGEOT 206 WRC 1999年WRC参戦記録②
【サンレモ】10月11日~10月13日
14:デルクール 206 MWK 75 SS17前 リタイア
15:パニッツィ 206 MWL 75 2位・+18秒0
21:グロンホルム 206 MWP 75 8位・+4分40秒8
14:デルクール 206 MWK 75 SS17前 リタイア
15:パニッツィ 206 MWL 75 2位・+18秒0
21:グロンホルム 206 MWP 75 8位・+4分40秒8
ワークスエントリーはデルクールとパニッツィ。グロンホルムはワークス外のエントリーとされた。デフの仕様はセンターのみアクティブデフ。(パニッツィの車のみフロントにアクティブデフ搭載) ブレーキのクーリングは空冷タイプ。
レッキ終了後、デルクールに「自転車でSSを走行した」として2分のペナルティが与えられるも、プジョーはこれに対してアピール。この決着はラリー終了後のFIA法廷で争われることになり、デルクールは取りあえずペナルティ無しでのスタートとなった。
第11戦チャイナラリーをスキップして臨んだサンレモラリーで、プジョー陣営は驚愕のスピードを見せた。まず、SS3~5においてパニッツィが3連続ベストタイムを叩き出して首位をキープすれば、SS3で右リヤをヒットしバンパーを飛ばしたデルクールが、SS6のベストタイムで首位を奪い返すなどブレーキのオーバーヒートを感じさせないプジョー勢が、Leg1すべてのSSを制してしまった。続くLeg2でもデルクールは、マシントラブル(SS8-ギヤボックスから異音発生&SS12~14-デフのセンサーが働かなかったことからコンピューターが自動的にセーフモードになる)が発生したり、SS11でタイヤの選択を誤り失速する等その電撃スピードに陰りが見えるも、SS13まで首位を守った。一方、SS6のタイヤ摩耗(柔らかすぎるタイヤが原因)からLeg1を2位で終えたパニッツィはSS7のスピン(10秒のロス)やSS11のタイヤ選択ミスに加え、ブレーキがオーバーヒートするも、Leg2最終のSS14でセカンドベストを出してデルクールを逆転した。プジョーが復帰してから初の優勝が懸かるLeg3は、タイヤ選択と天気の変化が勝敗の行方を左右した。パニッツィがSS15の5km地点でパンク。(ATSがうまく働かず、アンダーステアに悩みタイムロス) デルクールは同じSS15でフロントタイヤ(ソフトコンパウンド)のトレッドがゴール6km手前で剥離。プジョー勢と同じタイヤながらも雨が路面を濡らし始める直前に完璧な走りを披露して首位に立ったマキネンも最も激しい雨となったSS16~17において、ハンドカットしたインターミディエイトが路面に合わず失速。崩れだした天候の下で三者三様の苦戦が続き、首位がマキネン→デルクール→パニッツィと代わる状況で最初に脱落したのは、SS17のスタートラインにおいて電気系トラブルでリタイアとなったデルクールであった。そして迎えた最終SS18。天候は回復し始めているも路面がまだ濡れている状況で選んだソフトコンパウンドのカットスリックタイヤが当たったマキネンが、会心のベストタイム28分14秒7を記録して勝利をもぎ取った。相対して同じカットスリックタイヤながらハードめを選んだパニッツィは、5番手のタイム(28分34秒5)に沈み、最終ステージ開始前にあったマキネンとの1.8秒差を守りきることができなかった。Leg1を望外の3位で終えたグロンホルムは、ギヤボックスの不調から1速と2速を失う(SS7~8)、オーバースピードから転倒し手酷いダメージを負う(SS9)、コースアウトを連発する(SS10・SS11)などターマックにおける経験の浅さを露呈した。

















【オーストラリア】11月4日~11月7日
14:デルクール 206 MVB 75SS11後 リタイア
15:グロンホルム 206 MVA 75 5位・+8分1秒9
14:デルクール 206 MVB 75SS11後 リタイア
15:グロンホルム 206 MVA 75 5位・+8分1秒9
エンジンとサスペンション周りに関しては、フィンランドと同じ仕様。デフの仕様は、センターのみアクティブデフ。(フロントとリヤは機械式) グリップの最適化を図るため、駆動系全体のセッティングを見直している。初めてヨーロッパ以外の地域に出たチームは、トランスポーター、移動用バン、サービス機材などを一新。事前テストについてはフランス国内で1週間行い、オーストリア現地では実施せず。
オーストラリア初遠征の目的を、来シーズンのための経験を蓄える事としたプジョーワークス。大きな準備も無くラリーに臨んだデルクールは、序盤からギヤボックスのトラブルで苦戦。Leg1終了時点で首位から6分以上の遅れを取り、リタイアを決意した。グロンホルムは、トリッキーなオーストラリアのステージにスピンを連発。(SS5では岩をヒットして、ステアリング系を傷めた。) さらにSS8ではターボブローでスロー走行をしていたドールのダストに視界を奪われ2分以上のタイムロス。しかし最終日にはラドストロームを捉えて5位に入るまでの追い上げを見せ、チームに貴重なデータを残した。

【グレートブリテン】11月21日~11月23日
14:デルクール 206 MWJ 75 SS22 リタイア
15:グロンホルム 206 MWN 75 SS19 リタイア
22:パニッツィ 206 MTC 75 7位・+10分33秒6
14:デルクール 206 MWJ 75 SS22 リタイア
15:グロンホルム 206 MWN 75 SS19 リタイア
22:パニッツィ 206 MTC 75 7位・+10分33秒6
ワークスエントリーはデルクールとグロンホルム。パニッツィはワークス外のエントリーとされた。パニッツィの車を含む全車とも、センターのみアクティブデフ。(フロントとリヤは機械式) 事前テストはウェールズを舞台に1週間行われた。(ダンパーの性能向上が目的)
チェルトナム競馬場のSS1でベストタイムを記録したグロンホルムは、続くSS2コーンバリーの公園ステージでコース脇にぶつけてドアをへこませてしまうが、4ステージを終えた時点で総合3位。さらにテレビのライブ中継が入ったSS5ブレンハイムでベストタイム、続く2台が併走するステージSS6シルバーストーンスーパースペシャルでもサードベストを記録するなど、その後も順位をキープした。グロンホルムは、Leg2~3においてもトップ5以内のタイムを11ステージ連続で記録するなど、上位に絡む走りを見せて総合3位以上(SS11終了時点ではこのラリー最上位の2位となる)を守り続けた。しかし残る4ステージとなったSS19の15km地点で、コース上にあった岩をヒットしてしまう。それに気をとられたグロンホルムは、次のコーナーのアプローチでブレーキングが遅れコースアウト。わずかなミスがマシン大破に至ってしまった。グロンホルムよりもさらに上位の2番手でLeg1を終えたデルクールは、SS10~11およびSS20と度重なってギヤボックスにトラブルが発生。3~5速を失いながらも走り続けるデルクールであったが最終SS22の残り2km地点で、とうとうマシンを止めた。シルバーストーンサーキットとグラベルを組み合わせたSS4でフロントをヒットしたパニッツィは、Leg2のSS8でギヤボックスが不調となるも、終盤にポジションを上げ7位完走を果たした。













