平成11年8月6日発行 A4変形版36ページ
【主な特集記事】
Foreword by Corrado Provera
スーパーショット/206WRC 世紀末に吠える
打倒ジャパニーズ。いま叛乱の幕が開く!
受け継がれた205T16の血統/ロスマンズ・スペシャル/縦置きギヤボックスの是非/
206WRCの武器と弱点/主要諸元/
独占潜入! Peugeot Factory 獅子復活の地
All that’s 206WRC Family これがプジョー軍団だ!
復活仕掛人ナンダンが明かす206WRCの真髄 宿命のパッケージ
Making of 206WRC 発表からデビューまで。206WRC開発の過程
206WRCのデビュー戦を追う コルシカの舞台裏から
Historie de Victoires 504→205→306→
プジョー、栄光に彩られた闘争史/205 CLOSE UP!/
プジョー・ドライバー列伝/主な成績’73~’99
緊急欧州試乗 快感ホットハッチ206GT&206S16
*RALLY・XPRESSが206WRCのデビューに合わせて1999年に発行したスペシャル号。
ライターは、平出ヒロシ、ミッシェル・リザン、川田輝 他。写真は、ジョー・リリーニ 他。
15年ぶりにWRC復帰となるプジョーは、206WRCを1999年のコルシカでデビューさせた。
以後このフレンチライオンは、2000年代初頭のプジョーの再興に大きく寄与することとなる。
ついては以下に、この歴史に名を残す名マシンの遍歴を辿る。
コンパクトなボディとショートホイールベースが特徴のこのマシン。
エンジンは、英ツーリングカー選手権で実績のあるアルミブロックのXU9J4ユニットを採用。
(1905ccのオリジナルエンジンのボアを2mm拡大/エキゾーストポートをバルブ毎に改造している。)
チューニングはピポモチュールで、開発の中心になったのはTTE出身のミハエル・ロスマン。
ロスマンは、セリカのアンチラグシステムを流用したシステム・フレッシュ・エアを開発し、
デュアル・インテイク・マニホールドを持つサージタンクと共に206WRCに搭載させた。
排気系もデュアル・エキゾースト・マニホールドを採用し、理想的な吸・排気系を完成させている。
(吸気系はバルブ毎に独立させたインマニ+4連独立スロットルとしている。)
しかしもっとも革新的な部分は、Xトラック製縦置きに搭載されるギヤボックスと言える。
本来、フロントアクスル付近に位置されるギヤボックスを、ベベルギヤを介することにより、
エンジン後部に縦置きに配して、前後の重量配分を大きく改善しているのである。
また、このギヤボックスはフライホイールをケーシング内に縦置きに搭載し、
狭いエンジンルームに余裕を持たせることにもチャレンジしているが、
こちらのほうは、トラブルが多発し、問題解決に時間がかかることになる。
加えて、ショックアブソーバーの開発不足、サスペンションとボディの剛性不足も課題とされた。
アクティブデフについては、当初、センターデフだけを電子制御化していたが、
1999年のサンレモから、パニッツィ車のみフロントもアクティブ化させている。
しかしデビューイヤーについては、ZF製の機械式デフと比べて差はあまり見られなかった。
【1999年モデル主要諸元】
Engine:Transverse in-Line4 1997.5cc+Turbocharger
Bore×Stroke:85×88mm
Max Power:300bhp/5250rpm
Max Torque:535Nm/3500rpm
Gear Box:6speed sequential
Differential F-C-R:Mechanical-Active-Mechanical
Front Suspension:McPherson Strut
Rear Suspension:McPherson Strut
Wheelbase:2468mm
Length×Width:4005×1770mm
Weight:1230kg
Tire/Wheel:Michelin/O.Z
2000年シーズンには、振動が問題となっている縦置きギヤボックスの改良が、
シーズン半ばで成功したことにより、課題の信頼性が大幅に向上した。
またライバルと比べても、シャープなハンドリングによるコントロール性が優れており、
エンジンパワーも優位を保っていた。
更にマシンの改良が著しかったカタルニアラリーでは、ターボとウエストゲートをリファイン、
トリプル・アクティブデフも投入されている。
加えてフィンランドのラリーからは、ステアリング裏側にパドル式のシフトを装着。
クラッチ操作、ギヤを電子制御化したセミATとするなど開発にも余念が無かった。
ターマックラリーにおけるブレーキはフロント、リヤともに、355Фのローターに、
8ポッド・4パッドのブレンボ製で対応し、ワークストップクラスの驚異の制動距離を実現、
ミシュランタイヤとのマッチングにも問題がなかった。
これらが相乗効果を生み、この年はドライバー、マニファクチャラーズともにタイトルを獲得した。
【2000年モデル主要諸元変更点】
Turbo Charger:Garret
Transmission:XTrac 6speed sequential
longitudinally-mounted
Differential F-C-R:Active-Active-Active
2001年シーズンは、ターマックではシトロエン・クサラの、グラベルではフォード・フォーカスの
後塵を浴びることもあったが、オールラウンドの強みがあり、マニファクチャラーズタイトルを確保。
シーズン中に前年モデルと外観上変化の乏しい2001年モデルへとスイッチしたが、
下記の様にその中身を大きく変化させている。
・エンジンに新型マニホールドを装着
・インマニの一新による吸気効率向上
・ギャレット製ターボチャージャーの搭載位置の変化
・内部コンポーネントの10%軽量化
・新設計のカムシャフトによる加速性能アップ
・ラジエターとインタークーラーの隣接化
・トランスミッショントンネルのサイズダウン
・2基のポンプによる新型油圧システム(パワステ系とデフ+シフト系の分離)
・ギヤボックスの5速仕様から6速仕様化
・フロントおよびセンターデフのマップ変更
・プジョーオリジナルのダンパー改良
・車体底面のフラットボトム化
こうした変化に伴い信頼性の不足、ハンドリング不評、メカニカルトラブルが発生するも
コンスタントな熟成を行い、同じトラブルを再発させずにシーズンを乗り切っている。
2002年シーズンではWRCカー唯一のテレメトリーを搭載し、電子制御系の熟成を図っている。
また、バリアント・オプションを極限まで利用した細部にわたるコンスタントな改良も実施。
・エアスクープの新設計
・インナーとアウターのホイールアーチ一新
・アクティブアンチロールバーの搭載(スウェディッシュラリー以降)
・室内ニーレストの設置(サンレモラリーでバーンズ使用)
・ウイングに5枚のフィン追加(アクロポリスラリー以降)
・ターボチャージャーのマイナーチェンジ
上記がその例であるが、その取り組みには一切の手抜きが見られなかった。
ゆえに、この年もチームの勢いは止まらず、14戦8勝の圧勝的な強さで
ドライバーと3年連続のマニファクチャラーズタイトルを手中にしている。
206WRCにとって2003年シーズンは、モデル末期の延命期間のようなものとなってしまった。
チームは206WRCの大きな改良はほとんど行われず、307WRCの開発・熟成に注力。
その結果、優位性が無くなり、トラブルも多発、自ら滑落して行く結果となった。
シーズンの本命とされた前年2冠のプジョーは、モンテに王者グロンホルム、01年王者のバーンズ、
サードノミネートにパニッツィとターマック最強布陣を敷くも、表彰台に至らず。
しかし不本意な開幕戦に続くスウェーデンではグロンホルムが1位、トルコではバーンズがしぶとく2位、
ニュージランド、アルゼンチンではグロンホルムが連勝と主導権を掌握するかに思えた。
だが、アクロポリス以降は最上位が4位(バーンズ)、2位(ロバンペッラ)、2位(グロンホルム)、
3位(バーンズ)、3位(バーンズ)と逸勝、マニファクチャラーズのポイントでシトロエンに並ばれてしまう。
その後、ターマック2戦でも勝てず、ドライバー、マニファクチャラーズともポイントリーダーから陥落。
次戦カタルニアで、206WRC最後の勝利をパニッツィが大逆転で記録するも、
最終戦イギリスで最上位7位と沈み、選手権4連覇は叶わぬ夢となったのである。
【206WRCリザルト】
マニファクチャラーズポイント
1999年11点/2000年111点/2001年106点/2002年165点/2003年145点
マーカス・グロンホルム 15勝
2000年/スウェーデン・ニュージランド・フィンランド・オーストラリア
2001年/フィンランド・オーストラリア・イギリス
2002年/スウェーデン・キプロス・フィンランド・ニュージランド・オーストラリア
2003年/スウェーデン・ニュージランド・アルゼンチン
ジル・パニッツィ 7勝
2000年/コルシカ・サンレモ 2001年/サンレモ
2002年/コルシカ・カタルーニャ・サンレモ 2003年/カタルーニャ
ハリ・ロバンペッラ 1勝
2001年/スウェーデン
ディディエ・オリオール 1勝
2001年/カタルーニャ