イメージ 1

 

イメージ 2

 

 

イメージ 3

 

 

 

イメージ 5

 

 

 

イメージ 6

 

 

イメージ 7

 

イメージ 8

 

イメージ 9

 

イメージ 10

 

イメージ 11

 

イメージ 12

 

イメージ 13

 

 

 

 

イメージ 14

 

イメージ 15

 

イメージ 16

 

イメージ 17

 

イメージ 18

 

イメージ 19

 

イメージ 20

 

イメージ 21

 

イメージ 22

 

イメージ 23

 

イメージ 24

 

イメージ 25

 

イメージ 26

 

イメージ 27

 

イメージ 28

 

イメージ 29

 

イメージ 30

 

イメージ 31

 

イメージ 32

 

イメージ 33

 

イメージ 34

 

イメージ 35

 

イメージ 36

 

イメージ 37

 

イメージ 38

 

イメージ 39

 

イメージ 40

 

イメージ 41

 

平成7年4月15日発行 A4版130ページ
【主な特集記事】
 王座、再び トヨタ・セリカGT-FOUR WRC2連覇達成!
 1994年 TOYOTA WRC SCENE Round1~Round10
 天才 ディディエ・オリオール 念願のチャンプ獲得「小さな巨人が大輪咲かせた!!」
 日本人初WRCフルタイムワークスドライバー・藤本吉郎の1994年「初めてのWRC」
 TTE監督 オベ・アンダーソン インタビュー「2連覇によって我々の実力を証明する事が出来て満足です」
 ST185セリカ 栄光への軌跡 1992年~94年
 対談 ユハ・カンクネン&藤本吉郎 WRCで勝つための条件とは?
 カンクネン&オリオールのドライブ・テクニック完全分析
 トヨタWRCセリカの最前線基地 TTEの全貌を明かす!
 TTE副社長 福井敏雄 インタビュー「セリカはラリーに向かないからこそ、逆にやり甲斐がある」
 トヨタの新兵器 ST205セリカ完全解剖
 トヨタ栄光のワークスマシン達
  CELICA GT-FOUR ST165/SUPRA TURBO MA70/
  CELICA TWINCAM TURBO TA64/CELICA 2000GT RA63/
  CELICA 2000GT RA40/CELICA 2000GT RA20/
  COROLLA LEVIN TE27/CELICA 1600GT TA22
 HISTORY OF TOYOTA RALLYING トヨタのラリー活動の歩み 1972年~94年
 トヨタ・ラリーエンジンの系譜 2T-Gから3S-GTE改へ
 TTE DRIVER&COーDRIVER PROFILE
 1968年~94年 TOYOTA RALLY RECORD

*1995年にJFA出版社から発行されたRALLY MAKES SERIESの一冊。
 ライターは飯島俊行、清木博志、桧垣和夫、マーチン・ホームズ、網中泰雄 他。
 写真は飯島俊行、北畠主税、清木博志、平田勝、松本高好、三田正二、網中泰雄 他。
 前年の改訂版で、トヨタのラリー活動の歩みを数多くの写真を使って紹介している。


CELICA TA22/RA20の主なWRC参戦記録
【1972年】
 ヨーロッパのラリーシーンに注目したトヨタは、
 パブリシティの一環としてインターナショナルラリーへの参戦を決意。
 9月にはオベ・アンダーソンを日本に招聘して、浅間のテストコースでセリカを走らせた。
 さらにイギリスのバグショットでもテストを重ね、RACラリーへの参戦準備を整えていった。
 *RACラリー*
  No.11:O.Andersson/G.Phillips(TA22)ACM55MI29 9位
  トヨタとオベ・アンダーソンがジョイントした初のラリー。
  ノーマルに近いドライサンプの2T-Gエンジン(1588cc/135ps)ではアンダーパワーが否めなかった。
【1973年】
 第17技術部の支援を得たこの年の活動は、アクロポリスとRACをフルサポートとし、
 TAPとオーストリアンアルパインについては、アンダーソンチームをワークスサポートすることになった。
 *TAPラリー*
  No.9:O.Andersson/J.Todt(TA22) ACM55MI29  DNF(BeforeSS15 Accident)
 *アクロポリスラリー*
  No.4:O.Andersson/G.Haggbom(TA22) ACM55YA7551 DNF(Leg1 engine)
 *オーストリアンアルパインラリー*
  No.9:O.Andersson/G.Haggbom(TA22)ACM55YA7551 8位
 *RACラリー*
  No.9:O.Andersson/G.Phillips(TA22) ACM55YA7551 12位
【1974年】
 オイルショックの影響で、トヨタはモータースポーツ活動の中止を役員会議で決定。
 第17技術部も解散となり、ラリー活動も風前の灯となった。
 *TAPラリー*
  No.7:B.Waldegard/H.Thorszelius(TA22) DNF(SS7 electrics)
 *リデューレイクスラリー*
  No.101:W.Boyce/S.Gray(TA22・ST1600ccOHV)EPP615 3位
 *プレスオンレガードレスラリー*
  No.2:W.Boyce/S.Gray(TA22) DNF(SS20 stuck in mud)
 *RACラリー*
  No.37:P.M.Carlsson/L.Crellin(TA22)ACM55RO1832 Ladys Win
【1975年】
 モータースポーツ部・福井主査の直訴もあってラリー活動に予算が付けられ、
 トヨタのラリー運営をオベ・アンダーソン(TTE)に一任したことにより、WRC挑戦が継続された。
 この年の主戦力は、最終的に185psを発揮した2T-Gエンジン搭載のカローラ・レビン(TE27)。
 1000湖ラリーでは、ハンヌ・ミッコラのドライブでTTE初のWRC優勝を獲得した。
 *RACラリー*
  No.5:O.Andersson/A.Hertz(TA22)QP8724 DNF(engine)
  No.10:H.Mikkola/J.Todt(TA22)QP8722 DNF(distributor)
【1976年】
 この年より主戦力をTE27レビンからRA20セリカに変更。
 このRA20(セリカ2000GT)に搭載された18R-G型をモディファイしたエンジンは、
 ボアストロークが85.5×80个如∩軫啜の味隠坑僑ccのスチロールブロックを持ち、
 トヨタが作った4バルブヘッド(DOHC16バルブ)を組み合わせたものとなっている。
 9000rpmで245ps(圧縮比11.5)を発揮させる日本デンソー製フューエルインジェクションは、
 立体カムシステムで、インジェクションポンプの吐出量を回転数と負荷によって
 必要なだけ供給できる仕組みとなっており、トルクバンドを広げるのにも一役かっている。
 尚、インジェクションのスロットルバルブはシュニッツアー製のバタフライ式に変更された。
 ミッションはレース用に開発されたクロスレシオの5速を使用、デフはZF製のLSDを持つ。
 ダンパーはビルスタインのガスショックを使い、コイルスプリングは日本製。
 荷重配分としては、ややフロントヘビーなので、エンジンの軽量化(素材にマグネシウム多用)や
 ドライサンプのオイルタンクやバッテリーをトランクルームに搭載するなど改善に努めている。
 サスペンションはフロントがマクファーソンストラット+コイル、リヤが4リンク+コイル、
 ブレーキはフロントがベンチレーティッド、リヤがソリッドディスク、
 キャリパーはフロントがガーリング2ポッド、リヤがアケボノのアネット型であり、
 ホイールはミニライト製5.5J×13を使用している。
 全長:4260弌秦管?В隠沓横悪弌秦換癲В隠横坑悪弌織曠ぁ璽襯戞璽后В横苅坑記弌
 トレッド:前1370弌Ω紕隠械毅記弌深崕邸В隠娃毅kg
 *ポルトガルラリー*
  No.2:O.Andersson/A.Hertz(RA20)QP8724 2位
 *アクロポリスラリー*
  No.2:O.Andersson/C.Billstam(RA20) DNF(halfshaft)
 *1000湖ラリー*
  No.1:H.Mikkola/A.Hertz(RA20)BYC885 3位
 *RACラリー*
  No.5:H.Mikkola/J.Todt(RA20) BYC885 DNF(SS76 differential)
  No.12:J-L.Therier/M.Vial(RA20) DNF(SS16 oil Cooler)
【1977年】
 この年もTTEからWRCに参戦。
 セリカの弱点とされるリヤアクスルの強度不足は、ASSY使用により対応。
 これで駆動系デフ、シャフト関係が強化されたマシンは、シュニッツアーチューンのエンジンと
 ロングホイールベースシャシーの安定したコーナーリングをもって、その走りに輝きを見せた。
 *スウェーデンラリー*
  No.43:L.Asterhag/C.Billstam(RA20)DON084 7位
  No.6:P.Airikkala/R.Virtanen(RA20)RO1861 DNF(SS19 injection)
  ワルデガルドをゲストとして起用する交渉を行うも、フォードとの契約があり実現せず。
 *ポルトガルラリー*
  No.4:O.Andersson/H.Liddon(RA20)BYC884 3位
  No.7:H.Mikkola/A.Hertz(RA20) DNF(wheel studs)
  地元ディーラー・サルバドールカエターノからのエントリーとなるも、
  その実態はアンダーソン指揮下のワークスチームとして参戦。
 *アクロポリスラリー*
  No.4:O.Andersson/H.Liddon(RA20)BYC884 DNF(SS5 differential)
  No.8:H.Mikkola/A.Hertz(RA20) DNF(differential)
  ミッコラは5.38のリヤアクスル、5速オーバードライブミッションが装備された新車を使用。
 *1000湖ラリー*
  No.7:H.Mikkola/A.Hertz(RA20) DNF(SS4 flywheel)
 *RACラリー*
  No.8:H.Mikkola/A.Hertz(RA20)BYC885 2位
  No.14:P-I.Walflidsson/J.Jensen(RA20) 14位
  No.18:J-L.Therier/M.Vial(RA20) DNF(SS52 accident)
【1978年】
 この年は公認の関係から16バルブユニットが使えず、8バルブユニットでの参戦となった。
 TTEは1000湖ラリーで2代目セリカ(RA40)をデビューさせたことから、
 主力の座は、RA20からRA40へ移ることとなった。
 *スウェーデンラリー*
  No.10:J-L.Therier/M.Vial(RA20)BYC886 DNF(SS5 alternator)
  No.15:L.Asterhag/A.Gullberg(RA20) DNF(SS12 engine)
 *ポルトガルラリー*
  No.6:O.Andersson/H.Liddon(RA20)BYC884 4位
  No.15:J-L.Therier/M.Vial(RA20) DNF(SS7 engine)
 *アクロポリスラリー*
  No.2:O.Andersson/H.Liddon(RA20) DNF(SS42 engine)
  No.9:J-L.Therier/M.Vial(RA20) DNF(SS26 engine)
 *1000湖ラリー*
  No.23:L.Asterhag/A.Gullberg(RA20) 9位