今日で15年。




櫻井翔さん

ZEROからzeroに渡り

キャスターご就任15年

本当におめでとうございます。



新米アラシアンの私ですから

全てを拝見してきたわけではありません。


でも始まった当初


キラキラの瞳で視聴者に伝える

真っ直ぐな櫻井キャスターに引き寄せられた一人として


この日だけは

きちんとお祝いさせていただきたいのです。





NEWS ZEROの視聴がご縁となり


翔クンを知り

嵐を知った私だから


news zeroとなった今でもあの時間は特別です。


それはずっと

櫻井キャスターが立たれている限り変わることはありません。

   

そしてあの翔クンの残された言葉


僕なんかじゃ

伝えられないことがたくさんあります


僕なんかじゃ

届けられない方々がたくさんいらっしゃると思っています


でも 


僕じゃないと伝えられないことがある 


僕じゃないと

届けられない方々がいる


思い上がりにも似た

そんな思い込みをしながら


これからも伝えていきたいと思っています。

 



その言葉に乗せた想いの通り


たくさん伝えていただき

その一つ一つが

今の私の人生の一部になっています。




ハワイ

広島

沖縄

東南アジアまで出向かれ

慰霊され

戦争を二度としないことへの堅い想いを伝えてくださった姿には


強く平和へ還元せねばと奮い立ち。


広島の高校生達が描いた原爆の絵展には2年続けて足を運びました。




櫻井キャスターが開会式に出向かれた

思い出深いロンドン五輪では

翌年にその景色重ねてストラトフォード駅のオリンピックスタジアムを訪ねました。

 

ユニバーサルマナー検定を勉強し

パラリンピックでは大いに役に立ちました。



福島の原発問題。

被災地へのボランティア活動へ

出向くきっかけをくださり。


新しい世界としてラグビーを教えてくださり。


そしてTokyo2020ボランティア参加という機会も教えてくださいました。




嵐のコンサート会場以外でも


翔クンが教えてくださったことがきっかけで


こうして 

いや これ以上に


その一部が

私の人生ともなりました。




本当に心から

櫻井キャスターへ感謝申し上げます。





そんなZEROとzeroへの想いが溢れるが故


zeroをリアタイし

学ばせいただき


翔クンに出会えた場所をつなぐ

自分の執念みたいなものから

毎週zeroの後に記事を綴っております。


毎週綴ることで

翔クンと出会えた自分を満たしています。




しかし

先日のおめでたいニュースにあたり。


自分の気持ちを固めたのものは


嵐にもう一度必ず会いたいという想いと


もう一つ


翔クンが望まれる形で

そのジャーナリズムを追求され

伝え続けられるお姿を見続けたいということ


この二つでした。




そしてもし

この前者でも後者でも

一つでも叶わなくなったら

私は今の私を保てない。


そう思い始めた為


翔クンのお仕事へのお気持ちを

何かしらで知ることができる日まで


翔クンの存在を教えてくれたzeroを

視聴後に記事にする事はありません。


翔クンの今後のご意向がわからぬまま

櫻井キャスターにしがみついている私が怖いのです。


ただ先ほど残した

2017年の24時間テレビの時の様に


強く翔クンのお気持ちを知ることができたら

また書き始めてしまうに違いありません。






おめでたい日になんの独り言かと

自分でも自らを厚顔無恥だと認識しております。


ここまでお読みくださった方には

お詫びしかございません。


申し訳ありません。







今後zeroの記事があろうとなかろうと

そもそも有益な情報のない独り言ばかりのつまらないブログです。


どうかいつもお立ち寄り頂いているお優しい皆様におかれましてはどうぞお気遣いなく登録をお外しくださいますようよろしくお願い申し上げます。




長々とワタクシゴトを読んでいただき

本当にありがとうございました。





とそんなこんな言いながら。


明後日どうしても行きたかった

この展覧会

緊急事態が解け

かつ終了間際の今伺うことにしました。


Casa BRUTUS✖️謎ディ(^◇^;)




このように。


どうしても。


私の人生の核が櫻井翔なのは

変わることはありません。