翔クンはホントに

我々が思い描いている以上に


思いを巡らせ 


仲間へきめ細やかな配慮をし


ご自身の気持ちは

ご自身にとって正しい理解の上で抑え込んで。


そんなお仕事ができる方なのだな


ネメシスの役のお話とはいえ 今宵のオトノハの内容に翔クンその人の生き方が重なりました。





役を演じるということは

その役の人として生きるということであり


その役の人の人生を

自分のものとして理解し記憶して演じなければならない。


そしてそこに演者自らが個人として経験した記憶が再生され演技に乗ればその役がさらに生きていく。



こんな演劇論を目にしたことがあります。



私は入江監督が


この翔クンとの対談に触れてくださったTwitterにまさしくこの記憶再生を感じていました。




そしてオトノハを読み。


翔クンは風真尚希の人生を全てを我が物として

風真として見事に生きていらしたのだなあと


あの研究所での長く止まらない嗚咽シーンや


エンディングで3人が横並びになった際に見た

それまで見せていたものとは違う涙を堪えた表情を思い浮かべました。





そしてここからはあくまでもファンの憶測だけれど。



This is 嵐の最後


横並びになるまで涙を見せなかった翔クンを想います。




「大丈夫」は自分に言い聞かせていたと取材や番宣でおっしゃっていたように


今宵記してくださったように


自分が大丈夫だと思わないと大切な相手を守ることができないことを誰よりもご存知なのだと


翔クンご自身の生きた道に想いを馳せます。




風真が20年をただいたずらに費やしただけではなくたくさんの絆や戦う術を得たように


翔クンの嵐の21年の中にもまた

諦めざるを得なかった何か以上に


私たちも存じ上げている多く大切なものを得られ


そして

これからも守りたいものがあるのではないと


そんな風に今宵のオトノハを受けとりました。




そもそも翔クンにとっては


費やした時間=犠牲ではないと


翔クンの重ねてきたお仕事一つ一つと

それがさらに豊かになる様に感じております。


 


経験したことがあるからできる強さを持ち合わせ


守りたいもののために


そこへ揺るぎない大丈夫を伝えるために



大丈夫 と強い意志で自らを鼓舞させ

前へと次の仕事へと立ち向かう翔クン。

 



その横並びには大切な4人がずっといて

ご自身の大切な嵐を守ろう


ですよね…


と感じてしまいました。






これだから翔クンは。


テレビのこちら側からだけとはいえ

ずっと並走してその姿を見ていきたい


そんな唯一無二の方。




嵐に会えない辛さや寂しさを抑え込んでも

見ていたい人。




そんな人を想い続けているから


私は今

アラシアンとして大丈夫

(๑•̀ㅂ•́)و✧




たくさんいらっしゃるうちのファンの一人としての

私個人の意見としての理解のもと。


こんなふうに答え合わせがたくさんできたオトノハでした。





翔クン。




ありがとうございます。



オトノハで使われる文の行間が

ホントに大好きです。




開いた余白に込められた

翔クンの感情やお気持ちを


私はこれからも

大切にいただいていきたいと思います。