25年前の今日は大阪に滞在する勤務をアサインされていたにも関わらず

前々日に体調不良を起こしフライトを降り横浜の寮で過ごしていました。

そして朝も早く隣の部屋の先輩が飛び込んできて震災の発生を知りました。



そこからしばらくの間
様々な方に出会い公共交通機関で働く人間の責務の大きさを23、4歳の自分に言い聞かせながら働き続けました。




そして

誰かのために なんて

人様の力になど容易くなれないのだから軽々しく口にしてはいけない

そう学んだのもその時。



他の誰かのために ではなく

自分が今できること
自分がやらねばならないことがあるのならそこを努めなければならないとそう学びました。


 

あれから25年が経ち平穏な時の中でも

その大切な事な部分を大切な人が報道やCSRを通してリマインドくださりきっかけをくださるから

まだまだこれからも少しでも自分ができることを続ける人生を歩まねばと律されております。