私は被災地・福島の生まれだ。
震災時、用があって実家にいたのだが、
目の前の車がバウンドしたり、家の食器類などは全て壊れた。
私は1995年1月、阪神大震災の時に取材に行ったのだが、
今回の震災はとても比較にならないほど、ひどい。
比較的、老朽の近所の家が全壊。
幸いケガはなかったが、意気消沈していた様子は今でも目に浮かぶ。
政府は着実に復興をしている言うが、
正式な回答だと、以前として2556人が発見されていない。
福島から転校してきただけで、いじめに遭ったしている。
報道も筆を上げた。子供はある意味残酷だ。
放射線量を基準の半分までして、鮮度と安全安心を届けている福島の農業。
水産物も試験的ながら、水揚げされている。
放射線量は基準以下だ。
だが、首都圏を中心に「福島の食べ物は買わない」という、
一種、風評被害がまだまだ続いている。
私のできることは少ないが、できるところから、震災と関わっていきたい。
犠牲者に黙とう。