東京五輪マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉(福島県須賀川市出身)が自ら命を絶ち、8日で50回忌となった。もうすっかり疲れ切ってしまって走れませんーー。遺書は円谷が命懸けで競技に挑んだ証しとして今に伝わる。
2度目の東京五輪が3年後に迫る中、中央大時代の旧友は改めて偉業を顕彰したいとの思いを強くしている。
「彼は決して孤独なランナーではなかった」。陸上自衛隊に籍を置きながら円谷が通った中央大で、円谷と机を並べた横浜市の神立修二さん(73)、さいたま市の高松常太郎さん(78)は、3人が納まった写真が掲載された50年前のスポーツ紙の切り抜きを今ももっている。
円谷は1963年4月に中央大経済学部二部に入学した。謙虚で穏やかな人柄は周囲をなごませたという。神立さん、高松さんには明るく、時には冗談を飛ばすなど快活な姿ばかりが印象に残っている、と話している。
円谷は1968年1月8日に東京都の自衛隊体育学校宿舎で自殺し、翌9日に発見された。一般的に9日が命日とされているが、遺族や地元の関係者は命を絶った8日を命日としている。8日は遺族が円谷の眠る須賀川市の十念寺を訪れ、墓前に手を合わせた。
円谷は我が郷土の偉人である。
本日も軽躁。セレネースを多めに飲んだ。いったい、いつになったら、フラットに戻るのだろう。ただでさえ、仕事等が忙しいのに。
