歴史上の出来事を、どう評価すべきか。これは難問です。
安倍晋三総理は「歴史の定義は定まっていない」と答弁するなど、どうもかつての日本の「侵略」を認めたくないようです。当時の日本は、列強のアジア侵略や大国ロシアの脅威から自国を守ろうと朝鮮半島や中国大陸に「進出」した。欧米はそんな日本に経済制裁攻撃をかけてきた。日本は自衛のために反撃したーー。そういう理屈なのでしょうか。
当時の日本には、それなりの論理もあったのでしょう。でも、たとえば日中戦争の戦場はどこであったのか。日本列島ではなく、中国大陸でした。
そう考えると、歴史的には他国から「侵略」と呼ばれても仕方のないことでしょう。ただし、私個人の歴史観になりますが、日本の軍部が独走したとするおしなべての見解には、疑問符がつくのです。
東條英機(東京裁判でA級戦犯として絞首刑)のような人も確かにいましたが、連合艦隊司令長官だった山本五十六は、日米開戦を最後まで阻止しようとしました。彼は米国の当時の国力を知り尽くしていましたし、日本海軍は、陸軍と違ってまだリベラルに物事を判断していました。
ですから、太平洋戦争は無謀な戦争だと考える良識ある軍幹部が一部ではいたわけです。精神論で米国を倒すという教条主義は、竹やりで米爆撃機B29を撃ち落とすというところまで発展しました。実に愚かな思想です。
歴史の評価には二通りあります。「当時は仕方がなかった」と、当時の状況を分析すること。もう一つは「現在の価値観から見て許されるかどうか」ということを評価することです。
現代に生きる世界各国の政治家たちは、現在の視点から歴史を断罪します。ですから歴史家でもない安倍総理が、「当時は必要だったことは誰でも分かる」と発言すると、猛反発を受けるわけです。
彼は苦労を知らないおぼっちゃまですが、小泉純一郎以前の自民党から出た歴代総理の見識を今一度、みつめるべきです。と言ってももうすぐポスト安倍が騒がれるでしょうが。
政治家が歴史を語る時は、謙虚であるべきでしょう。私は政治家に、次の警句を送ります。「歴史は歴史家に語らしめよ。政治家は、現代を見よ」。
今日は69回目の長崎原爆投下記念日でした。犠牲者に合掌。