2013年5月、大阪市の橋下徹市長の発言をきっかけに、再び脚光をあびた「従軍慰安婦問題」。分かったようで分からない方も多いようなので、解説します。
「従軍慰安婦」という用語は戦後使われるようになりました。1973年、ノンフィクション作家の千田夏光氏が「従軍慰安婦」という題名の本を出版。それ以降、この名称が定着しました。
では、慰安婦とはどういう存在だったのか。1995年村山内閣の時代に慰安婦への償いのために財団法人「アジア女性基金」の定義によると、「かつての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所に集められ、将兵に性的な奉仕をしいられた女性のこと」となっています。
日本陸軍の記録によると、日本軍の行動範囲が広がるにつれ、アジア各地に慰安所が設置され、計400カ所に上っています。1932年の第一次上海事変後、日本軍兵士による中国人女性へのレイプが起きたため、反日感情が高まるのを防ごうと、日本軍が作りました。
ただし、慰安婦の総数はどれほどだったのか、詳しい資料はなく、日本人研究者の間でも推論が分かれ、2万人から20万人までの説があります。
1992年、朝日新聞が慰安婦の募集を監督、統制していたとの資料が発見されたと報道し、耳目を集めました。これを受け、いわゆる「河野談話」が発表されました。
河野談話とは、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」「政府は心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」--これが政府としての正式見解です。
これを受け、韓国では「日本が補償すべきだ」との声が高まります。しかし、1965年に日韓基本条約が結ばれた際、韓国は一切の請求権を棄却しました。ですので、その条約の解釈をめぐって、補償金の是非が問題となりました。
そこで日本政府は「政府は補償できないから、民間で償いましょう」という立場で「アジア女性基金」をつくりました。1995年から2002年までに計5億6000万円が集まり、元慰安婦に200万円の補償金を渡しました。
ところが韓国はこれに猛反発。「政府は責任逃れをして、民間にまかせている」。このため、韓国の元慰安婦で補償金を受け取った人はごくわずかでした。
日本流のあいまいな決着が通用しないという形になりました。
にほんブログ村
「躁うつ病」と書かれたバナーをクリックしていただけると、良い記事を書く励みになります。