著者は東京新聞論説副主幹を務める長谷川幸洋氏。
元々が経済記者なのだが、1年間海外の大学院で経済学を本格的に学び直したと書かれているだけあって、主張は理路整然としている。
私はなるべく時間をかけて経済の分野の記述を読み進めたのであるが、例えば、国の国債依存度の問題や財政赤字などについて、「国の資産を積極的に売ればいい」と明快に書き進められていく。
氏は経済記者が財務省と日銀の「ポチ」(言うがままにあやつられているいう意味の表現)になり、情報を取り、何を伝えなければならないかという原点に立ち返るべきだと強調する。
今や新聞はネットに押されまくられている。おととし、小欄で「ネット」の広告費総額が「新聞」のそれを抜いた、と書いた。これは、国民のニーズにこたえきれなくなってきた新聞の危機と言っても過言ではないだろう。
特に、政治、事件などの担当記者は、記者クラブ内での闘争にあけくれ、読者のニーズ(知る権利)がどこにあるのか、ということすら、怠るような記者もいるようだ。形だけの「夜回り」などがその典型的な例であろう。
新聞がどう生き抜いていくのか、というテーマは私のようなものにははばかられる。私がこの書で一番、「グサッ」ときたのは、読者・視聴者に受け入れないような独善とした記事を書く記者はジャーナリストの資格がないとのこと・・・。
しかし、本当に反論のしようもない。あまりにも核心というか、急所を突かれたようで、殴られたような衝撃を受けた。私は氏とはまた別の畑で仕事をしているのだが、氏の言うことは筋が通っている。
なぜかというと、「取材相手に信頼されるような記者になれ」という地方支局での新人記者育成は前述の「ポチ」というのだ。氏はいささか古いが、調査報道こそが新聞の生き残る一つの道ということを明示している。
テレビ局はネットでの相対的な低下はあってもなくなりはしない。良い例がそれよりも古いラジオだ。これは、よく先輩のジャーナリストと食事をしながら話題に上るのだが、これと新聞を一緒にするには少し無理があるかもしれない。
いずにせよ、再販制度に守られ、宅配システムで毎朝届けられるという新聞は大転換期を迎えている。「報道に近道はない」というのが、かつて私が所属していた新聞社のキャッチフレーズだ。
これに対して、新聞人はどう対処していくのだろうか。現場は混とんとしているだろうが、それこそが健全な姿だ。そこにこそ、新聞の生命線がある、と言っていいだろう。