サブタイトルは~津波と放射能と福島民友新聞。
著者は、ノンフィクション作家の門田隆将さんだ。
2011年3月11日の東日本大震災に、福島県の地元紙の一つである同新聞の記者たちが、どうやって新聞発行に挑み続けたかを追った作品である。中には知っている記者も出てくるので、興味深々で読み進めた。
最も読者を引きつけるのは、入社2年目の熊田由貴生記者の死であろう。死者・行方不明者1万8520人を出したこの震災の犠牲者の一人であるのだが、ほかの犠牲者と異なるのは、その彼の死が「取材中」にもたられたものであるという事実である。
享年24。私の母校、福島県立安積高校の後輩でもある。ジャーナリストとしての素質とセンスを着々と現し、将来を最も嘱望される社内では期待の星であった。
熊田記者が命を落とした場所は、福島県相馬市の烏崎地区である。日本を襲った「千年に一度」の大地震は、これまで経験したことのない大津波を福島にもたらせた。
人々を呑みこんだ大津波の中で、熊田記者は本文で記述するように自分の命と引き換えに地元の人間の命を救った。それだけに、彼の死は、先輩、同僚の記者たちに衝撃を与えた。
マグニチュード9・0というすさまじい激震に続く大津波、そして放射能汚染--。福島県を一挙に襲ったこの〝複合災害〟によって、福島の新聞は、浜通りを中心に「取材対象区域」も、「営業区域」も、そして「配達区域」も「消えてしまった」のである。
震災時に福島を取材し続けた彼らは記者という「本能」のまま動き、純粋に歴史の一断面を、命を賭けて「切り取ろう」とした。不幸にもその中で、一人の若者の命が失われた。
しかし、生き残った仲間によって、彼らに大きな負い目とトラウマを刻印しながらも、その遺志は着実に引き継がれている。
その時、記者たちは、なぜ、海に向かったのか。
命とは何なのか。
新聞というメディアは一体、何なのか。
重すぎるこれらの問いを改めて考えさせられた、「良書」であった。