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これは、もう大メディア(特に、毎日、朝日、東京の各新聞)が、大々的に取り上げたので、そうした本筋には触れません。
ただ、読売や産経両新聞の報道を見ていて、本当に「国民の知る権利」「報道の自由」という極めて重大なことを、思ってのことだったのかという思いが私の中にあります。
さて、本題。
話を「西山事件」に移しましょう。
既にこの事件のことを知っている読者には申し訳ありませんが、あえてあらすじを説明させていただきます。
『沖縄密約-「情報犯罪」と日米同盟』(西山太吉・岩波新書)から、一部引用いたします。
1971年6月に調印、翌72年5月に発効した沖縄返還協定において、米軍用地復元補償費400万ドルは、米側が日本へ「自発的支払いを行う」と記されていました。
だが、この問題について、著者で元毎日新聞記者の西山太吉氏は、日本側による〝肩代わり〟の事実を外務省女性事務官から入手した極秘電信文により突き止めました。
西山氏はこれを記事にした上、さらにこの事実を国民に伝達するための有効な方法として、国会の予算委員会を通じた究明という手段を選び、72年3月に西山氏から受け取った同電信文を基に、社会党の横道弘衆院議員が「密約」について政府を追究しました。
西山氏と事務官は国家公務員法違反容疑で逮捕され、「知る権利」を守れとの世論が高まったものの、両者の個人的関係が起訴状に記載されたのを契機に、焦点が「沖縄密約」から「機密漏えい」へとすりかえられました。
事務官は一審で有罪(懲役6カ月、執行猶予1年、控訴せず有罪が確定)。西山氏は一審で無罪となったものの二審で逆転有罪となり、78年6月、最高歳で確定(懲役4カ月、執行猶予1年)。
だが、その後、2000年5月、2002年6月に「密約」を裏づける米公文書が見つかるとともに、「400万ドル」は〝氷山の一角〟であることが判明し、2005年4月、西山氏は謝罪と損害賠償を求めて提訴。2006年2月には「密約はあった」とする日本のメディアの報道がなされました。
機密情報を入手し、それを報道したことにおいて逮捕される。これは、私の知る限り、これが最初です。私だって、新聞記者時代、毎晩のように夜回りをして警察幹部から情報を得ていたわけで、これは、地方公務員・国家公務員法違反をしてもらっていたわけです。
西山氏の逮捕は、私見ですがこれは「政治逮捕」でしょう。政府がそれだけ、この「沖縄密約」報道に危機感を覚え、「何とかしないと大変なことになる」と焦ったのは明らかです。
戦後、日本の新聞は戦前、戦中に、大本営発表をうのみにし、結果的に戦争に加担した苦い経験から、権力批判(一部そうではない新聞社もありますが)を展開することになりました。しかし、「西山事件」のように、政府自体が「危ない」という報道はあまりなされてきませんでした。それだけに、この事件は異例だったのです。
上記のように「沖縄密約」があったされる米公文書が見つかり、日本のメディアがそれを報じているのに、日本政府は今だに「沖縄密約はなかった」という姿勢を全く変えていません。日本政府の「情報意識」は所詮、その程度の幼稚なものと言われても仕方ないでしょう。
今でさえ、政府の見解はおかしいのに、どこからどこまでが国家にとって「秘密」か、そして、どこからどこまでが「秘密ではないか」--。この線引きは難しいです。
だからこそ、今回の「特定秘密保護法」は官僚にとって、実においしい法律で、自分たちの裁量で「特定秘密」を広げていくことになります。こんなことでは、報道に携わる者が公務員から情報を提供してもらうことが、難しくなります。
一番、怖いのは、こうした議論がいつか国民から忘れられ、政府の意のままにものが運ぶという悪の連鎖です。私はそれを危惧しています。そういう意味で「西山事件」を教訓にしなければなりません。