13人が亡くなり、約6300人が重軽傷となった1995年3月の

「地下鉄サリン事件」。

今月20日、あの惨事から18年となった。

私としては、この事件にはノータッチだったので、取材はしていない。


だが、それから一カ月後、

横浜駅で「サリンとみられる異臭がある」と、速報が入ってきた。

もう「ここだけの話」であるが、当時、横須賀に住む女性と交際していた。

彼女は横浜のデパートに勤めており、

一緒に歩いていても、振り向く男性も多かった。

新聞記者の特権もある。多少はもてた。


で、彼女は翌朝、職場へ。私は横浜駅から京浜東北線で、

会社へでかようとしたら、異臭騒ぎ。間もなく、ポケットベルがなり、

デスクが「おお、お前、今どこだ?」

だが、横浜駅にいるとは言えない。

「えーと、品川のあたりです」

「ああそう。それはよかった。横浜駅で異臭騒ぎがあったから、

とりあえず、横浜支局へ行ってよ」

「はい、分かりました」

原因は今だに未解明の部分が多い。

だが、結果的には大した事件とはなりえなかった。


以上のことはごくありふれた話。

それ以上に耳目を集めたのは、オウム真理教本部のあった

山梨県旧上九一色村での麻原彰晃死刑囚をはじめとする逮捕劇。

ここでこの年の7月、私は毎日新聞の現地の取材班のリーダーである

キャップを務めた。

東京本社から3人、地元の甲府支局の若手記者ら計6人をたばねた。


ここで大きなミスをすると、地方へとばされることは明らかだったので、

胃が痛む思いで、連日、指揮をとった。

麻原死刑囚はもう逮捕済みだったが、その妻の動向が山だった。

なんとか「特落ち」しなくてすんだ。

あれほど、緊張した事件は最初で最後だった。


新聞記者は「歴史の生き証人」と言われる。

このもようは、それほど遠くない将来に、

出版化される予定になっている私の著作でも詳しく紹介している。

請うご期待。