前の福島県知事・佐藤栄佐久氏が、同名の書を出した。

私と同じ福島県立安積高校卒。

足もとにも及ばないが東大法学部卒で元参議員議員。

中堅ゼネコンの汚職事件で逮捕、起訴されたが、

私から言わさせていただくと、東京地検特捜部の誤認逮捕だと思う。


その彼が書いた本。原発核心に迫っている。

第9章になりたっているので、第1章から第3章までを紹介する。


※第1章

かつて、「黒いダイヤ」と言われて、石炭のまちでうるおった

常磐炭鉱で栄えた福島県いわき市。その模様は映画『フラガール』

(2006年)でよく描かれている。閉山によって同県浜通り地方の経済は、

落ち込んだ。

それの穴を埋めるわけではないが、福島第一原発は1971年に、

稼動を始めた。

しかしながら、その安全性は地元を軽視するものだった。

88年暮れから89年にかけて、たて続けに緊急の運転停止となった。

しかし、その安全管理は地元を抜きにして進められた。

事故は同原発から東京電力本店に情報が行き、

その後、旧通産省に報告された。さらに、資源エネルギー庁に伝わった後、

福島県にいくというものだ。当然、地元は怒る。

その後、東電社長らが福島県庁を訪問し、

佐藤知事に謝罪に来た。


※第2章

いわゆる電源三法によって、原発立地自治体には金がおりる。

だが、これには経緯があって、ハコモノ建設しか、

この金の使い道がない。

よって、公共施設をどんどん建てたわけだが、ソフト面での補充がないため、

立地自治体は真綿で首を絞められていくように、

じわじわしめつけられる。

日本の原子力政策は当時の総理府、現在は内閣府にある原子力委員会と原子力安全委員会がそれぞれ「原子力長期計画」を立案し、安全性を含めて方針を決めるという建前になっているが、実際は経済産業省資源エネルギー庁の官僚がつくるプランにお墨付けを与えるだけだった。

原発はトイレのないマンションと言われる。

「だまし打ち」で福島第一原発の核燃料保存処理施設が作られた。

また、東日本大震災で水素爆発事故の起きた同原発には、

プルサーマル施設の是非がとわれ、大事となった。


※第3章

1991年、茨城県東海村の核燃料加工施設で臨界事故が起きた。

福島県境まで40キロ。

1994年7月1日。東電の荒木浩社長が知事公舎を訪れた。

「相馬共同火力発電株式会社」の1号機の運転開始について、

礼を述べた後、以下のような提案をした。

①明治以来の長きにわたってお世話になっている(明治の水力発電以来、

福島は東京の電力を供給しつづけている)事を踏まえ、

そのご恩返しの意味でいろいろアイデアを募った。

たまたま日本サッカー協会内部でサッカー・ナショナル・トレーニング

センター構想が期待されている事を知り、これを浜通りに建設したい。

②県内全体の事を考えて、中通りにも30万人署名のあった

郡山へのJリーグ誘致に協力する事も検討する。

③会津地方にも美術館建設などを検討している。


しかし、これは佐藤県知事、ひいては福島県民をだます口実だった。


以下、次回に掲載。福島は雪が積もっています。