ひさしぶりに、著名人インタビューをしたことをお伝えしたい。


山形県川西町生まれ。家は薬品、レコード、文具を扱っていた。


だが、5歳の時に父親が他界した。母親はたぐいまれな商才をもっていた。


そして、全国を飛び回っていた。


井上さんは、小説、戯曲、エッセイに多彩ぶりを発揮した。


中学三年の時。母親が知人に全財産をだましとられた。


一家は離散。母親と一緒に岩手県一関市に身を寄せた後、


仙台市にあるカトリック系施設に預けられた。


施設から、名門仙台市一高二通った。


が、それはまれ。先生に「作家か映画監督にある」と公言し、


学校には行かないことを告げた。。


午後は新聞部の作業した。


いとつ上の、同部にいた菅原文太さんの紫煙をくゆらせるのは、


同性であっても、かっこよかったです。




ここでちょっとしたことがあったのだが、井上さんの事務所に行った時は、


ちょうど昼時。井上さんが「熱海さん、ぼくお腹がすきました。


近くにおいしいそば屋があるので、出前を取りませんか?と言われた。


しかし、新聞記者というものは、相手側から金品をもらうことがご法度になっている。


本来なら、これが一番厳格なのが朝日新聞だ。


だから、私は困り果て、「井上さんの事務所に、この原稿が本になったら、


至急届けるという事でお互いざるそばを食べた。


お亡くなりになって時間がたったが、井上さんには哀悼の意を評したい。