「ヒゲの殿下」との愛称で親しまれ、障害者福祉活動などで知られた


寛仁(ともひと)親王殿下が6日午後3時35分、


多臓器不全のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲病院(東京都千代田区)


で亡くなられた。66歳。天皇陛下のいとこ。


本葬は1週間後をめどに、東京都文京区の豊島岡墓地で行われる。


「皇室は悠久の歴史の中で常に受動であった。突きつめると、存在することに意義がある


ということだ。政治や営利にも関与できないし、


ある意味『すきま産業』だ、と語ったのは6年前のことだ。


ラジオのディスクジョッキーをするなど皇族として「初」の逸話も多い。


晩年は闘病に次ぐ闘病であった。


だがそのさなかに皇族の役割についてこう語った。


「光が当たっていないところに光を当てる。それが大事です」。


遠方にいるので、記帳に行けませんが、やすらかにおやすみください。




新聞記者は地方支局に最初に配属され、そのあと、東京、大阪、名古屋、福岡などの本社に


配属となる。


私は最初の赴任地は愛知県だった。


それで、記者5年目の時に現在の皇太子さまとお会いし、同県内で取材したことがある。


まだ、ご結婚前のこと。


色白で小柄だが背筋がぴしっとして品格があった。


皇族の取材はこれが最初で最後だった。


新聞記者は歴史の生き証人でもある。