小学二年まで盛岡で過ごし、英語学者だった父の都合で上京した。
が、いまだに自分の中に東北弁が息づいていることを実感する。演劇を勉強にパリへ旅だった21歳まで、
盛岡生まれの祖母から離れたことがなかったからだ。
毎日、祖母が語る「座敷ぼっこ」などの昔話を、体にしみこむほど、食いいって聞いたものだった。
「当時はテレビもラジオもなく、みんながお話に夢中だった。私も言葉の持つ力を肌で感じて育った」
かつては文学座で杉村春子さんと並ぶ看板女優だったが、商業主義の色濃い仕事を極力、避けてきた。
傍ら、過疎化で増える一方の岩手の老人の記事に心を痛め、同座の盛岡公演を買い取って、
純益を故郷の老人に送ったこともある。
(やはり、この方は故郷をこよなく愛していた人であることが、インタビュー中、ひしひしと伝わってきました)。
転機の一つが爆発的高視聴率を記録したテレビ小説「おしん」の出演だ。
役柄はおしんの奉公先の山形県酒田市(なんども取材に行きました)の大店の女主人。
庄内弁が使いこなせるか、りんとした明治の女性を演じきれるかどうかーー
「不安でいっぱいでした」と打ち明ける。
収録ではいつも、かわいがってくれた祖母を思いかえし、祖母になりきって演じた。
重厚な演技が話題を呼び、放送文化賞にも輝いた。
「同じ東北人の心が幸いしたのでしょう」
盛岡の知人らに、再会した時、ほっとするのが、
「あんや、まんず、よーぐおいでったごと」と、盛岡弁で声をかけられることだ。
「手紙でも、ワープロ文字が、心を伝える点で手書きに勝てないのと同様、薄っぺらの標準語が方言を追い越せないことも多いんです。私は厚みのある方言の良さをこれからも大切にしていきたい」
キラキラと目を輝かせながら語った。
長岡さんの、ご冥福を、心からお祈り申し上げます。