同高の同級生、渡部恒三元通産相とは無二の親友。
互いに大学進学が決まり、白虎隊が自刃した飯盛山に二人で最後に登った時の思い出が今でもよみがえる。
「あの時、政治家を志していた渡部君は大臣に、私は世界的学者にと、誓いを立て合いわかれたんですよ」
京都大数学科に進んだが、二回生の時、新進の経済学の翻訳本を読み、その理論に感銘して独学した。
フルブライトの留学生として米国留学を実現させた。
船で横浜から出発したが、その時、会津高校の同級生が集まり、門出を祝ってくれた。
「岸壁で太鼓を打ち、校歌や応援歌を大声で歌いだしたんです。うれしかったなあ」とほおを緩める。
ノーベル賞を受賞した経済学者、サミュエルソン教授のゼミで学んだ。
「留学の最大の目的は教授を追い抜くことだった。が、ケタ違いの天才ぶりを目の前で見せつけられ、不可能と
悟りました」。
帰国後、誰もなしえていない社会科学の統合の仕事に目標を変えた。そのために、東京大大学院で政治学を専攻しながら、社会学、心理学、文化人類学の教授に押しかけて学んだ。
とにかく一徹。見回り以外の時間は勉強できるから、と小学校の夜間警備員になった。
十年以上を学生寮で暮らし、寝食を忘れて研究に打ち込んだことから、栄養失調で倒れたこともある。
見かねた高校の同級生がカンパを募り、執筆を勧められて論壇に登場した。
生活費稼ぎに書いた本がたて続けにベストセラーになった。
ロッキード裁判で故田中角栄元首相を、独特の論陣を張って擁護し、話題を集めた。
「明治維新では日本中が勤皇方になびき、田中元首相の地元の長岡と会津だけが朝敵にされた。角栄断罪一色になった現代の風潮とそっくりだ」
といまだに一歩も引かない。
根っからの「会津っぽ」である。
小室氏のご冥福を、改めて、お祈り申し上げます。