1980年代後半から90年代はじめの競馬ブームをけん引したオグリキャップが3日午後、北海道の放牧先で、

脚部を骨折して死にました。25歳でした。

オグリキャップは87年、地方競馬の笠松競馬場でデビュー。12戦10勝の活躍で注目を集め、翌年にはJRAに転籍しました。G14賞を含む重賞12賞の活躍で、当時の競馬人気を盛り上げました。

そのころ、ableの上司(現和歌山市長)がオグリキャップにかなり傾倒し、場外馬券場で馬券を買っていました。

ableが住んでいる県内にもJRAの競馬場があり、夏競馬が特ににぎやかです。

90年末の有馬記念優勝を最後に、オグリキャップは引退し、その後は北海道の優駿スタリオンステーションで、

種牝馬となりました。07年で事実上種牝馬を引退した後は、そこで余生を送っていました。

地方出身のオグリキャップが、日本や世界のエリートウマを向こうに回して力走する姿は、バブル経済最盛期の日本に、70年代初めのハイセイコー以来といわれる競馬ブームを巻き起こしました。

地方競馬で8連賞を含む10賞を挙げたオグリキャップは、4歳になった88年に中央競馬に移籍し、いきなり重賞6連勝を飾りました。だが、伝統的なレースに出場できるクラシック登録をしていなかったため3冠レース

(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)とは無縁でした。

有馬記念は1歳上の人気馬、クマモクロスとの対決を制してG1初制覇。89年のジャパンカップでは、前週のマイルチャンピオンシップからの連戦にもかかわらず、当時の芝2400メートルの世界レコードの2分22秒2で2着に入りました。

90年は安田記念で優勝したものの故障もあって不振が続きましたが、引退レースの有馬記念で復活優勝を遂げ、人気を不動のものとしました。

オグリキャップよ、安らかにお眠りください。