俳優だけでは食えず、ガリ版刷りのアルバイトが何年も続いたが、

それは共通語との格闘の日々と重なる。

やがて、「日本の夜と霧」「白昼の通り魔」など、一連の大島渚監督の映画作品で、脚光を浴びるようになった。

性格俳優の地歩を築き、ナレーションにも活躍の場を広げた。

「ナレーションの仕事には、いまだにアクセント辞典が欠かせない。でも、言葉に人一倍神経を使ってきたから、

表現の味わいが知らず知らずと身についた気がします」

1980年、「イーハトーボの劇列車」の舞台で、宮沢賢治の父親役を演じた。

せりふは一貫して花巻弁だった。

「言葉の重しが吹き飛び、初めて自由かっ達な舞台が踏めた」

評論家も「地金のある言葉」と絶賛。紀伊国屋演劇賞個人賞も受けた。

「キとケの中間音など東北の言葉は豊かで雅やか。この年になって、標準語と会津弁の二つの言葉を話せて、つくづく良かったと思えるんです」


謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。