ableは結構な数の本を書いています。その中で「東北方言ものがたり」という本を著わしています。

その中で、先日、肺炎で死去した、佐藤慶さん(享年81)にインタビューしたものをお届けします。

そのインタビューは佐藤さんの自宅がある世田谷で行いました。

確か、ボルボの車があったことを覚えています。


ニヒルな横顔が苦虫をかんだように変わった。福島県会津若松市出身の俳優、佐藤慶さんが、(当時)44年前に上京して、俳優座養成所に入った当時を語り始めた時のこと。

「周りの悩みが演技力だったのに、私はひたすら標準語だったなあ」

独特の低音が重々しく響く。

養成所は針のむしろだった。台本や詩の朗読はもとより、日常会話でも話すたびに、

「今の言葉、アクセントが違うよ」と、ことごとく指摘され、ショックを受けた。

全く予期せぬ出来事だった。地元では、新劇研究会を作り、県のコンクールで優勝したこともあるだけに、

言葉には自信があった。

「養成所の試験もパスしたことだし、言葉は仕障がないと思っていた。だから、アクセントが違うと言われても、ピンとこなかった」

周囲から連日、日光と日航がどう違うか、など、アクセントの違いを問いただされた。

「だんだん、話すのが怖くなってきまして。毎日が憂鬱でした」

当時、俳優座は役者が払底していた時期。間もなく初舞台に押し出された。

出番は花火を見ながらせりふを吐く一シーン。緊張しながらも精一杯演じた。

舞台のそでに引きあげてくると、演出助手が「三カ所なまっていたぞ」と冷ややかに言った。

「もう俳優はだめかと沈みました」と話す。

そのころから、アクセント辞典を買ってひそかに勉強を始めた。

さらに、元俳優が開いていた発声法などを教える塾に通い、共通語のアクセントに慣れるのに必死になった。

「当時、古里で知り合って結婚した妻と、言葉がなまるからと離婚することすら考えました。