市内すべての女子校の看板を集め、文化祭の催しで並べたこともある。

「何でもあり、のおおらかかな青春でした」と大笑い。同校時代の体験は後に小説「青葉繁れる」につながった。

新聞記者か映画監督を夢見て上京。大学に進み、劇場文芸部のアルバイトをしたのがきっかけで、

芝居の面白さに目覚め、戯曲の懸賞募集に投稿を始めた。

やがて、子供たちをテレビの前にくぎづけした人形劇番組「ひょっこりひょうたん島」の脚本を担当して世に出た。

小説の分野にも進出し、「手鎖心中」で直木賞を受賞。中央から「コケ」にされた東北が中央と対決する、

パロディー小説「吉里吉里人」はブームを巻き起こした。

1987年から、蔵書10万冊を出身地の川西町に順次、寄贈。

「遅筆堂文庫」(井上先生はかなりの遅筆だったそうです)として、

住民に開放している。

「一関、仙台、それぞれにアイデンティーがある。東北各地を転々としてきた冷めた目で権力者に文句を言っていく仕事を続けていきたい」と井上先生は語っていました。


改めまして、先生のご冥福をお祈り申し上げます。