はじめての紅白歌合戦 | 奇天烈音楽館・別館

はじめての紅白歌合戦

いまはまったく見ることがなくなったNHK「紅白歌合戦」ですが、子どもの頃は結構熱心に見ていました。
なかでも1972(昭和47)年の紅白歌合戦は実に鮮明に記憶として残っています。そうです、希代の実力派歌手・朱里エイコさんが初出場を果たしたのです。

朱里エイコさんに関しては以前本家ブログでも書きましたが、10代の頃から本場ラスベガスの舞台を経験し、最後はかのフランク・シナトラのバックまで務めたほどの実力派。歌はもちろん踊りの上手さも群を抜いていました。それもそのはず、お母さんがダンススクールを経営しお父さんはオペラ歌手という超がつくサラブレッドだったのです。

ラスベガスで成功を収めた朱里エイコさんは、凱旋帰国します。「逆輸入歌手」の先駆者的存在です。そして1972年に出した「北国行きで」の大ヒットでいきなり紅白初出場を果たすのです。歌謡曲の歌姫は美空ひばりさんだとよくいわれますが、ポップス部門では間違いなく朱里さんがナンバー1だと信じて疑いません。

しかし、あまりに本格的過ぎた彼女の曲は日本では受け入れられなかったのかもしれません。世に出るタイミングが早すぎたのです。これといったヒット曲に恵まれず、いつしか表舞台から姿を消してしまいます。たまに名前をみかけても愛人との刃傷沙汰で逮捕されたり、ステージをドタキャンするなどのスキャンダラスな一面ばかりが目立ちました。しかも肝臓病を長らく患い、投薬の副作用から激太りぶりが話題にされたことも。ちなみに朱里さんは一滴もお酒が飲めなかったそうです。

晩年の朱里さんは足立区のスナックで月に何回か歌うことで生活の糧を得、生活保護も受けていたとか。
そして、2004年に56歳という若さでこの世を去ります。亡骸もしばらく引き取り手がなかったということですから、いかに社会から隔絶されていたかがわかります。

そんな悲しすぎる最期も手伝って、毎年、紅白の季節になると朱里エイコさんのことを思い出してしまうのです。

ちなみに映像のはじめに朱里さんを呼び込んでいるのは、紅組キャプテンを務めた佐良直美さんです。

 次の北国行きが 来たら乗るの
 スーツケースをひとつ 下げて乗るの

 あ~ 何も貴方は知らないの この街と別れるの
 明日 貴方にお別れの 手紙が届くわきっと

 いつも「別れましょう」と言ったけれど
 そうよ 今度だけは本当の事なの

 次の北国行きで 消えて行くの
 二人 愛した町を 去って行くの

 あ~ 愛に疲れた二人なら このままで身を引くの
 憎み合わない、そのうちに 私は消えて行くの

 いつも「別れましょう」と言ったけれど
 そうよ 今度だけは本当の事なの

 あ~ 電話かけてもベルだけが 空き部屋に響くだけ
 明日 私がいない事、その時に気付くでしょう

 いつも「別れましょう」と言ったけれど
 そうよ 今度だけは本当の事なの


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