『チベット人としての基本的人権を尊重してほしい、チベット人が自分たちの将来を決定する権利を得たい。』
その為に自らの体に火を放つことで抗議した僧侶が後を絶たちません。
ニュースを耳にするたびに、言葉に尽くしがたい悲しみと痛みを感じます。
私には、チベット族の里子が一人おりますが、その子が無事成長していけるのか、
大人になった時どんな生活を送れるだろうかと不安になることがあります。
いっそ、日本に呼び寄せて一緒に暮らそうかと考える事もありますが、
それでは私の自己満足に過ぎずテンジンの本当の幸せのかたちではありません。
子供の瞳が輝やいていない社会は良い社会とは言えません。
それは、ここ日本だけに限らず全世界に共通する事。
チベット族としての文化、精神、宗教を守るためにヒマラヤ山脈を歩いて越え亡命する子供達を追ったDVDがあります。

私は、数年前に子供にこのDVDを見せました。
世界は、あなたの目に見える部分だけではないと伝えたかったからです。
子供はどう感じたのか?
以下長くなりますが、当時中学生だった娘の感想です。
私には、チベットに「家族」がいます。でも血はつながっていません。それは、私達が援助し、チベットにいる子供が援助されるというつながりの「家族」だからです。しかし私にとってはとても大切な存在の「家族」なのです。
チベットにいる私の「家族」は、九才の男の子で、名前はテンジンといいます。テンジンとは、チベットでは『仏様の教えを守る』という意味があるそうです。テンジンは両親と一緒にインドへ亡命しましたが、生活が苦しく、何年も満足に食べる事や、学校に行く事ができませんでした。そこで両親と離れてインドの施設に入って生活する事にしました。しかしお金がなく、学校へ行けませんでした。そこへ私の母が、学校へ行けるようと援助する事になりました。私は最近、私の家でやっているような、学校に行けない子供や生活できない子供を援助する事を『チベットサポート里親(スポンサー)』という事を知りました。
これにより私達はテンジンを支える事ができたのです。
私はテンジンを写真で見ていますが、会った事や話した事がまだありません。それでも、私にとって大切な存在の人です。
テンジンは色々な事を私に教えてくれました。過去にテレビや本なので子供たちがこういう厳しい状況の中にいることは聞いたことがありましたが、身近には感じられませんでした。でも『チャイルド・スポンサー』をやってみると、とてもテンジンのような立場の子を身近に感じられました。そして私は、「毎日なんとなく勉強し、なんとなく学校へ行き、のほほんと暮らしていていいのだろうか」と思い始めたのです。
私は母が買った、「ヒマラヤを越える子供たち」というDVDを見ました。それで私はさらに色々な事を知りました。インドには「チベット子供村」という施設があります。現在一万二千人の子供達がこの施設に入っています。テンジンもこの施設の一員です。この施設に入るには、何日もかかってヒマラヤ山脈を越えて、インドへ亡命しなければなりません。それはとても楽な事ではなく、中国の警察に見つかったら逮捕されてしまうほど危険きわまりない事なのです。なので、無事にインドへ行けるように、ある男性が手伝っています。これは不法行為なのですが、彼はそれでもテンジンのような子供達を手伝い続けているのです。
「自分の国を侵略した中国人に怒りを感じます。でも怒りは、春の雨のようにすぐにきえます。同じ人間だという事を思い出すと、同情を覚えるのです。」これはチベット子供村のある子供が言った言葉です。私はこれを聞いてその尊さや気高さに感動しました。まだ私ぐらい年の子が、こんな事を言えるからです。
私は「日本」という裕福な国に生まれました。そしてごく自然に学校へ行く、何不自由なく、暮らしています。けれど、チベットに住み、一見不幸な形に見えるこの子供達の方がずっと大人で考えが立派だと思いました。心が豊かなのはこの人達の方かも知れないとはずかしくなるほどです。
こういう子供達の話を聞くと、「かわいそうだ」と思う人もいるかもしれません。でも私はそうとは思えないのです。幸せには色々なカタチがあるからです。私達は、お金や物に囲まれて裕福でいる事が幸せだったり、家族がそろっている事が幸せだったりという考えの中にいることが多いでしょう。しかし、本当は日々笑っていられたら幸せなのではないでしょうか。このテンジン達のように、やっと学校に行けるくらいしかお金がなくても、家族が近くにいなくとも、今日も友と笑い合えたらそれが幸せだと、テンジンを支えながら私はそう信じられるようになりました。
これから辛い事が起きて笑えなくなる事があっても、笑えるように私は頑張っていきたいです。それは「家族」テンジンが頑張っているからです。彼らの強さや前向きさを見てそれを支える私たちがくじけてはいられません。私の勉強や部活の悩みや、友達とのいさかいなど小さいことに思えてくるからです。テンジンを支えながら実は私は「家族」テンジンに教わっているんだと思えてきています。
テンジンから学んだ「幸せのかたち」を、これからも大切にして、私もテンジンと共に強く生きたい。そう思っています。
『幸せのかたち』・・・・・時には広く考えてみる事も大切ですね。
忍耐は運命に勝つという言葉がありますが
それにしても今回の事件は、痛ましい事件でした。