あたしの中には、常に生きる以外に死という選択肢がある。
一番最初にその選択肢を意識したのは、いつだろう。
たぶん幼稚園児の頃だったと思う。
以来ずっと、その選択肢と一緒に生きてきた。
中学2年生のとき、あたしは学校でお昼を食べる相手がいなかった。
特に話相手もいなかった。授業が終わったら、真っ先に帰っていた。
何をしていたのか、よく覚えていない。どうやって過ごしていたのか
よくわからない。遠足のとき、あたしは誰と過ごしていたんだろうか。
“今”を生きることは楽しくなかった。リストカットの真似事をしていた。
それでもあたしが生き続けられたのは、これがいつか終わると信じて
いたから。絶対大学は別のところに行く。離れたところに行く。そう決め
ていた。そして、大学を出たら、自分の力で稼ごうと思っていた。この
経験を活かして、精神病の医者だとかカウンセラーになろうかと思って
いた。だから“今”が最悪でも、全然かまわなかった。
高校3年生のとき、一緒に受験勉強をしていた女の子に、「あんたが
生きる意味はない」と言われ続けた。「飛び降りとか迷惑だし、薬が
一番いいんじゃない。あ、ちゃんと骨髄バンクとかに登録しといてね。
それくらいしか、あんたに価値ないし」と言われた。毎日耳にし過ぎて
冷静な判断も何もできなくなっていた。言い返す力もなかった。死ん
だ魚のような眼をしていた。“今は楽しくなかった。誰も助けはなかった。
それでもあたしが生き続けられたのは、これがいつか終わると信じて
いたから。松蔭生が来ない大学に入るために熱心に勉強した。大学に
入学したら、今までの生活とは無縁だ、縁を切ろう。そして、あたしは
あたしの力で生活していくんだと決めていた。
社会人一年目のとき、上司から人格否定をされた。大切な友人に
出会い一生懸命がんばっていた大学生活は何の意味も持たない
ものになった。上司と合わないという理由で、チームが変更される
営業がうらやましくて仕方なかった。笑わない。人と眼を合わせない。
会社に行きたくない。またヒステリックな上司に人格否定されるのか、
面白くない話に乾いた笑いで応じて、八つ当たりにも甘んじて、信
頼も尊敬もできない上司のご機嫌をとって、クリエイティブも全然ない
上司のコピーチェックを受け入れて、あたしの未来は明るいのか?
そう思うと、毎朝、夙川の線路に倒れこみたくなった。
それでもあたしが生き続けられたのは、多くの人に支えられたから。
両親しかり、ネコしかり、M子しかり。そして、来年同じ会社で働く
ことになったあいつのことを考えたら、入社を待たずに辞めるのは
あまりにも悔しかった。ひとり立ちをしたら、楽になる。来年1年目が
入ってきたら、きっと離れられると信じた。そして、べムが異動し、
徐々に組織が変わっていった。新しい上司がやってきて、源内も
配属されて、ようやくあたしらしく働ける場所ができあがった。
常に死という選択肢がそばにいるあたしが、生き続けているのは、
“今”の状態が期限付きだと知っているから。死にたくなるような
“今”よりも、希望にあふれた未来があることを知っているから。
そしてまだ遣り残していることがあまりにも多すぎる。富士山にも
登りたいし、世界を見てみたい。たろうもだだおも、見尽くしてないよ。
どうせなら、やりたいことをぜぇんぶやってやりたい。大暴れして
満足してから死にたい。そういう未来を見ているから。
20年後、30年後のあたしが、まだ希望や夢を持っているかは
わからない。もしかしたら、やりたいことをやりつくして、何も変化の
ない現状に幻滅しているのかもしれない。だからこそ、今のあたしが
すべきことは、未来のあたしのために楽しい選択肢をつくること。
好きな人ができれば生きていたいじゃない。行きたい場所、見たいもの、
会いたい人を増やせば生きていたいじゃない。そのために今を生きる。
いつまでも夢や希望をなくさないでいたい。