〈日蓮宗牛頭山妙法寺本堂前の横浜芸妓組合と里神楽・神代神楽研究会の一同〉






2月18日の日曜日に、横浜市磯子区杉田の日蓮宗牛頭山妙法寺境内で開催された『第3回杉田梅まつり』に行って来ました。

杉田は、江戸時代、妙法寺を中心に杉田梅林があり、梅の名所として広く知られていました。江戸からも初代歌川広重を初め、多くの文人墨客が訪れ賑わいました。



〈杉田梅まつり会場の妙法寺山門〉


妙法寺は、弘仁元年(810年)諸国巡錫中の弘法大師が創建した牛頭天王社を起源とし、初め真言宗寺院でしたが、文和元年(1352年)日荷聖人により日蓮宗に改宗されました。小田原北條氏の重臣間宮家の菩提寺でもあります。



〈妙法寺境内のしだれ梅の名木『照水梅』〉


山門を入ると、参道の傍らに、明治時代、英照皇太后(孝明天皇妃)と昭憲皇太后(明治天皇皇后)が、ご照覧されたというしだれ梅の名木『照水梅』がありました。八重の小さな花をたくさん咲かせていました。



〈日蓮宗牛頭山妙法寺本堂の篇額〉


この日は、本堂前にステージが作られ、歌や踊り、三味線、お神楽などの催し物がありました。この日の横浜芸妓組合と里神楽・神代神楽研究会によるコラボのお神楽が、私のお目当ての一つでした。



〈本堂前のステージで歌う桜庭和子さん〉


本堂前のステージでは、大勢の観客の前で、歌手の桜庭和子さんのミニライブが行われていました。『美しい日本』、『十三夜』の二曲が披露され、しばしの間、聞き入りました。そして、その後、弘法大師ゆかりの妙法寺牛頭天王殿に行きました。



〈弘法大師創建妙法寺牛頭天王殿〉


昔、大和武尊(やまとたけるのみこと)が、東国征伐の折、走水の沖で嵐に遭いました。この時、お妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)は、嵐を鎮めるため海に身を投げました。大和武尊は、嵐が晴れると、杉田の山に武神・須佐之男命(すさのおのみこと:牛頭天王の化身)の姿を見ました。杉田の浜に船を寄せると、弟橘姫の櫛が流れ着いていました。大和武尊は、櫛を山の上の松の根元に埋めると、須佐之男命に東国平定の祈願をしました。そして、無事、達成することが出来ました。



〈妙法寺牛頭天王殿篇額〉


弘法大師は、諸国巡錫中に杉田村に来た時、この話を聞いて感銘を受けました。そして、牛頭山の松の木の側に、牛頭天王を祀る小さな社を作りました。この話が、現在まで続く妙法寺牛頭天王殿の由来でした。



〈牛頭天王像:妙法寺蔵〉


牛頭天王(ごずてんのう)は、仏教ではインドの祇園精舎の守護神ですが、日本の民間信仰では、恐ろしい疫病神です。疫病を広めないようにと、古来よりお祀りされて来ました。



〈境内の見頃を迎えた紅梅の花〉


この日、境内の100本あまりの梅は、見頃を迎えていました。牛頭天王殿のお参りの後、梅まつりに相応しく野点の茶会をしていたので、梅の花を見ながら野点のお茶をいただきました。



〈裏千家流の野点の様子〉


野点(のだて)の茶会は、茶室の茶会とは違い、特に作法はありません。多少のたしなみがあれば十分です。景色を楽しみながら好きなようにお茶をいただきます。



〈野点の緑茶〉


〈練り切りの上和菓子の梅の花〉


優雅な野点の様子を楽しみながら、また、見頃の梅の花を愛でながら、お茶と和菓子を美味しくいただきました。



〈初代歌川広重『武州杉田の梅林』〉


お茶会の後、妙法寺裏山の牛頭山に登りました。ここからの景色を初代歌川広重が、嘉永5年(1852年)『武州杉田の梅林』の題材にしました。今回はここまで、次回、牛頭山からの景色と杉田梅のお昼に続きます。



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黒猫クロちゃん


第27話・「鰹のなまり節」



〈鰹のなまり節〉


2月21日の朝、久しぶりに「鰹のなまり節」を持ってさくらの公園に行きました。

この頃、クロちゃんは朝ご飯のカリカリをあまり食べないので、好物の煮干しなど、おやつに代えて与えていました。

鰹のなまり節は、クロちゃんの大好物でした。しかし、高級品のため、近所のスーパーでは売っていません。



〈鰹のなまり節を夢中で食べるクロちゃん〉


やはり、クロちゃんは大喜びでした。黙々と夢中で食べ、何回もお代わりをして食べました。そして、満足した時には、鰹のなまり節を半分食べていました。クロちゃんのお腹の中は、ご飯とおやつの入る所が、別々なのではないかと思いました。



〈何回もお代わりをして食べました〉


クロちゃんが、東屋のベンチの上で、鰹のなまり節を美味しそうに食べていた姿が思い出されました。もう3年も前になりました。東屋は無くなりましたが、クロちゃんが元気で良かったです。