昨年、海老名の総鎮守で、相模国式内社の『有鹿神社』の御祭神である有鹿比古命(あるかひこのみこと)・有鹿比売命(あるかひめのみこと)について書きました。そして、『有鹿神社』が、相模国最古の神社で相模国造によって祀られたことを書きました。この話は、まだ完結していなかったので、今回完結編を書きました。


〈旧相模国式内社『有鹿神社』〉

『有鹿神社』は、海老名市内に「本宮」・「中宮」があり、相模原市内に「奥宮」があります。「本宮」・「中宮」には、有鹿比古命・有鹿比売命が祀られています。また、「奥宮」には、有鹿比売命が祀られています。この『古事記』・『日本書紀』に名前の見られない御祭神の“有鹿神”の謎を解くために、前回は相模原市勝坂にある「奥宮」を訪ねました。


〈相模原市勝坂の『有鹿神社奥宮』〉

「奥宮」を訪ねて分かったことは、御祭神の有鹿比売命が、海老名耕地を潤す鳩川の水源の“水の女神”であることでした。そして、次回は、“有鹿比売命の正体に迫る”として終わりました。ここで、ちょっと余談なんですが、「奥宮」のある「勝坂遺跡公園」の駐車場の前から上って行く坂を“猫(ねこ)坂”と言います。気になって由来を調べてみました。


〈『相模原民話伝説集』〉

「天気雨の日に狐の嫁入りがあるって言いますが、その日も蒸し暑くて、昼頃にざっと天気雨が降ったのです。
 そこは、磯部から勝坂に上がる小さな坂道です。坂の近くに住んでいるおヨネばあさんが、鼻歌を歌っているような声を聞いたので、ひょいと坂道を見ました。
 なんと、大きな猫が踊りながら坂道を上がっていたのです。おヨネばあさんは、腰を抜かしてしまいました。それからこの坂道を“ねこ坂”と言うようになりました。」


〈座間市総鎮守『鈴鹿神社』〉

謎の女神・有鹿比売命の正体については、座間市内にある旧郷社『鈴鹿神社』の縁起で明らかになります。『鈴鹿神社』は、六世紀の欽明天皇の時代に創建されたという古社です。この縁起は、江戸時代に座間の伝承を集めて書かれた『座間古説』に詳しく書かれています。


〈『鈴鹿神社拝殿』〉

それによると、座間七ヶ村の一つであった勝坂に、有鹿の“蛇神”が棲んでいました。有鹿神は、鈴鹿神の家宝を盗むため「鈴鹿の森」に絡まり機会を狙っていました。しかし、鈴鹿の社内にいた梨の木の諏訪明神と諏訪の下の弁財天が、これを追い払いました。続いて三神が、それぞれ“大蛇”に変身して戦いました。有鹿神は、敵わずに相模川に沿って敗走し、海老名で有鹿大明神として祀られました。


〈有鹿神社境内の三社様〉

『鈴鹿神社』の縁起によって、有鹿神が蛇神であると捉えられていたことが分かりました。
私は、ブログの①②で『有鹿神社』が、出雲神族の相武国造によって祀られたと書きました。それを裏づけるのに、境内に祀られている「三社様」があります。「大己貴神(おおなむちのみこと)」・「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」・「建御名方神(たけみなかたみこと)」が祀られています。何れも出雲の神様です。


〈『有鹿神社』の有鹿森の御神木〉

『出雲神族』は、別名を“龍蛇族”とも言い、三輪山の『大神神社』の御祭神「大物主神(おおものぬしのかみ)」のように、“蛇神”を祀ることで知られています。

古代相模国にやって来た出雲の民は、一族のシンボルである“蛇神(有鹿神)”を祀りました。その後、有鹿神は、農耕神として“太陽神”の「有鹿比古命」と“水神”の「有鹿比売命」になったのでした。しかし、“蛇神”としての伝承は座間に残り、『鈴鹿神社』の縁起になりました。


〈有鹿比売命が姿見をした有鹿池の「中宮」〉

『有鹿神社』には、「有鹿の森」に棲む“蛇神”が、松の針で目を刺し怪我をしたという伝説があり、“蛇神”が松の針で目をさないように、『有鹿神社』には松の木はありません。謎の女神・有鹿比売命の正体は、“出雲の蛇神”でした。