昨日は、二宮町に鎮座する『川勾(かわわ)神社』で開催されていた雛祭りに行きました。
川勾神社は、相模の国の二之宮で、創建を第11代垂仁天皇の時代とする古社です。
相模の国が磯長(しなが)の国と相武(さがむ)の国に分かれていた頃、現在の神奈川県西部にあたる磯長の国の鎮護のために創建されました。
日本武尊が、東征途中、奉幣祈願をされたと伝えられています。また、源頼朝や小田原の後北條氏の崇敬が篤く、また、徳川家康は御朱印地五十石を与えました。

「川勾神社の旧郷社の碑」

「川勾神社拝殿」

二宮町では、毎年1月から2月に、町内各所で『雛のつるし飾り展』を開催しています。『川勾神社』では、2月9日(金)から12日(月)の4日間、“雛祭り”が開催されました。

「雛の吊るし飾り展」

「拝殿前の雛飾り」

雛人形が裕福な庶民に広がって行ったのは、明治以降とされています。現在のように雛飾りが一般の庶民に広がったのは昭和の時代で、特に戦後の高度成長期に各家庭に広がりました。

「明治時代の雛人形」

“つるし雛”は、伊豆の稲取地方や九州の柳川地区、山形の酒田地区が有名です。
端切れで作ったぬいぐるみを吊るす風習で、江戸時代から伝えられて来たとされています。
祖母から母へ、そして孫へと受け継がれた手作りの「お細工物」として、日本の伝統的な手芸作品です。



境内では、梅の花が咲き始めていました。この辺りは、「梅沢の里」と言います。

「拝殿前の梅の木」

『川勾神社』は、先月末に菜の花を観に訪れた「吾妻山」が近くにあります。境内に、この菜の花に因んだ手作りの「菜の花みくじ」がありました。

「菜の花みくじ」

川勾神社には、江戸時代から明治時代にかけて、お抱えの宮大工・杉崎一門がおりました。特に神輿は梅沢流として有名で、寒川神社の文久神輿は、寒川町の重要文化財になっています。また、私の鎮守様の大神輿も梅沢流で、明治時代に梅沢の里で作られました。

「川勾神社の大神輿」

日本には四季があり、四季折々の行事があります。こうした行事(歳時記)は、先人の生活の知恵が込められた日本の文化です。大切にして暮らしたいものですね。