12月14日は、『寒川神社』の“煤払い”の日です。今年も1年間の汚れを払い清める年末恒例の“煤払祭(すすはらいさい)”が、午前8時30分から斎行されました。祭典終了後には、境内各所の大掃除が行われました。新たな年を迎えるための師走の“風物詩”ともいえる重要な行事でした。

〈清々しい『寒川神社拝殿』〉

“煤払い”とは、1年に1度、屋内外の煤や埃を払う年末の行事のことで、現在の“年末大掃除”の起源となる行事です。しかし、本来“煤払い”は、1年の厄を落とし“歳神様”をお迎えするための宗教的な意味合いの強い行事でした。

〈4㍍程の笹竹で、『南門』の煤や埃を払います。〉

“煤払い”の歴史は、宮中行事としては平安時代以来の大変古いものです。現在、一般的に12月13日になったのは、江戸時代からでした。『江戸城』では、旧暦の12月13日に、“煤払い”が行われていました。これは、江戸時代中期まで使われていた『宣命暦』が起源になります。

〈末社の『宮山神社』も“煤払い”〉

『宣命暦』の星宿の分割法の「二十七宿(現在の暦の二十八宿とは違います)」では、12月13日は必ず「鬼宿日」となり、万事に“大吉”の日であるとされました。そのため、正月を迎える準備を始めるのに、最良の日とされ、現在も残る「正月事始め」の起源となりました。

〈『人形奉斎殿』も“煤払い”〉

江戸時代には、『江戸城』が起源となり、広く12月13日に“煤払い”が行われていました。しかし、社寺には特に決まった日はありませんでした。『寒川神社』では、古くから12月14日に行われていました。

〈『納札殿』も“煤払い”〉

12月13日は、新暦に変わった現在の暦にも「正月事始め」とあります。日本の伝統文化が、こういったところにも残っているのです。

〈『手水舎』も“煤払い”〉

『手水舎』には、昭憲皇太后御製の和歌の額が掛かっていました。

「家ごとに ちりを払いて 日の御旗(みはた)
 たつらむ年を まつやたのしき」


〈以前ブログにアップした『神馬舎』も“煤払い”〉

年末の“大祓い式”は、仕事の残務整理で参列出来ないので、毎年、“煤払祭”の時に1年間の穢れを祓わさせてもらっています。今年も神主さんと一緒に境内を巡らせていただきました。ありがとうございました。わが家の大掃除は、今日からスタートします。

〈“煤払い”のご大役お疲れさまでした。一緒に巡らせていただきまして、ありがとうございました。清々しい気持ちになりました。〉


〈『寒川神社』のみすず〉

〈巫女さんの浦安の舞〉