父が亡くなって8年、母が亡くなって2年が経過。
父が逝ったあと、すぐ母の介護に入り、
母が逝ったあと、義父母の介護、引っ越しなどで、バタバタしていて、
なかなか実現できなかったのですが、
先月、やっと、両親の遺骨をもって、帰国することができました。
私も、ダンナの‘ふ’も十数年ぶりの日本。
空港のX線検査で、一瞬、怪しまれましたが、
火葬証明を持っていたので、係員の方も、「あ、遺骨ね、OKです」と、無事通過。
オーストラリアで、火葬した遺骨を、日本のお墓に埋葬する場合、許可が複雑とのことで、
従兄の提案に従って、こっそり、‘墓参りを装って’納骨してきました(^^)/
あ~、スリリング(^^♪
遺骨を、骨壺から直接、お墓の中に入れるのは、至難の業、とのことで、
まず、従兄が持ってきてくれた、(スーパーの・・・)ビニール袋に父と母のお骨を入れて、
その袋を逆さまにして、遺骨を注ぐように、お墓の中に納骨。
両親を長らく待たせた挙句、ちょっとお粗末、期待外れな納骨式となりましたが、
パパ、ママ、許してね~( ^^)
今回の帰国では、両親がお世話になった友人や親戚への挨拶回りもメインイベント。
9日間で、関東、中部地方から鹿児島まで、総勢40人を訪問してきました。
出発前は、正直なところ、大役だなあ~、と、気が重かったのですが、
最近まで親しくしていた友人や親戚はもちろんのこと、
40年前に会ったきりの親戚、今回初めて会った父と母の友人や、東遠の人たちからも、
温かく迎えて頂き、とても心が温まる、いい旅になりました。
40年ぶりに訪れた、父の故郷、鹿児島、南大隅町までは、空港から車で3時間半かかりましたが、
木々の緑と海の青さが眩しく、居心地のとってもいいところでした。
叔母の家の向かいの海から、対岸の開聞岳(薩摩富士)を臨む
両親も私も大変お世話になった、伯母(父の姉)と。伯母は、3年前は、寝たきりで、胃婁からしか栄養が取れない状態でしたが、今は介助されれば少し歩け、食事も、口から取れるまで回復。
十数年ぶりの再会、そして、私の介助に、涙を流して喜んでくれました。
鹿児島市街・桜島の日の出
川崎の叔母(父の妹)と叔父が、私たちのために、景色のいい部屋をとってくれました。
そうそう、帰国後、パパからお礼の電話をもらった夢を見ました(^^♪
ママとは、話せなかったけど、夢の中の父の話では、これからは母の方から連絡がいくから、
とのことでした。不思議やな~(^^)/