親父と息子の口喧嘩 -2ページ目

親父と息子の口喧嘩

ある親父とある息子が、社会の色々な事柄について論じます。
こんなことを考えている親子もいるのかと、ぜひぜひ少し覗いてくださいな。

多治速比売は弟橘媛と同一人物だとする文献は

 

主に地元伝承・神社由緒書や一部郷土資料で、多治速比売命(たじはやひめのみこと)を日本武尊(ヤマトタケル)の妃・弟橘媛(おとたちばなひめ、古事記では弟橘比売命)と同一視する記述が見られます。 記紀(古事記・日本書紀)自体には多治速比売の名は登場せず、学術的に確立した比定ではなく、伝承的・地方的な解釈です。

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主な根拠となる文献・資料

  • 多治速比売神社(大阪府堺市南区)の由緒・社頭掲示・関連記述
    式内社(延喜式神名帳・和泉国大鳥郡)で、主祭神を多治速比売命とする。神社側や周辺資料で「日本武尊の妃と考えられている」「弟橘媛と同一」とする説明がある。例として、神社由緒書や社頭情報で「多治速比売命は、日本武尊の妃と考えられています」と明記され、地元では弟橘媛の入水伝承と結びつけて語られる。

    engishiki.org

  • 郷土・巡拝系の記述
    • 土肥俊夫『土肥俊夫の世界』系の記事(2020年頃):多治速比売神社の祭神について「おまつりしているのは多治速比売命という女性の神様で、日本武尊の妻ともいわれています」「この弟橘媛が多治速比売命だというのです」と明示。古事記の走水海入水譚を直接結びつけている。

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    • 神社巡遊録などの現代郷土資料:一説として「日本武尊の妃である弟橘姫命であるとも」と紹介(ただし推測の域を出ないと注記)。
  • 延喜式関連の古い考証
    『和泉志』『式社考』などに「一作橘姫、乃日本武尊妃」とする記述が見える一方で、連胤(伴信友など)は「速の仮字ハヤをハナと通はしたる例臆説」「タチヒノハヤヒメ(多治氏の早姫)で、丹比氏関連の神であり、橘姫(弟橘媛)ではない」と批判している。大鳥井瀬神社の祭神を正とした見解もある。つまり、同一視は古くからあるが、批判も伴う伝承的説である。

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背景のまとめ多治速比売命は記紀に名がない地域の地主神・多治比(丹比)氏関連の女神とされることが多く、語源を「手早・敏速」と解して厄除け・開運・安産・縁結びの神徳を強調する。一方で、和泉国大鳥郡の立地(日本武尊関連の大鳥大社が近い)や「速/橘」の音通から、地元で弟橘媛と習合・同一視されたと考えられます。明確な古典文献(記紀・風土記など)で直接「同一」と記すものはなく、主に神社由緒・郷土史・近世考証の一説です。詳細は多治速比売神社公式サイトや堺市関連の郷土資料、『式社考』などの考証書を直接確認するとより正確です。

 

いずみのくに今昔物語にある。

ご指摘ありがとうございます。 「いずみのくに今昔物語」(和泉国今昔物語)に、多治速比売命を弟橘媛と同一人物とする記述があるとのことですね。 前回お答えした内容では、主に多治速比売神社の由緒書・社頭掲示、郷土資料(例:土肥俊夫関連の記述)、および『和泉志』『式社考』などの近世考証で「日本武尊の妃(弟橘媛)」とする伝承・一説が見られることを挙げましたが、具体的な書名として「いずみのくに今昔物語」を挙げられていなかったため、補足として承知しました。 この書が和泉国(泉州)の伝説・史跡を集めた郷土文献であれば、地元伝承をまとめたものとして、同一視の文献例に加えるのが適切です。記紀などの古典には直接の記述がなく、あくまで地方伝承・神社縁起系の文献に見られる説である点は変わりませんが、ご教示いただいた資料名を踏まえ、文献例として挙げておきます。 もし該当箇所の詳細(ページや具体的な文言など)がわかれば、さらに正確に参照できます。

いずみのくに今昔物語にある。

ご指摘ありがとうございます。 「いずみのくに今昔物語」(和泉国今昔物語)に、多治速比売命を弟橘媛と同一人物とする記述があるとのことですね。 前回お答えした内容では、主に多治速比売神社の由緒書・社頭掲示、郷土資料(例:土肥俊夫関連の記述)、および『和泉志』『式社考』などの近世考証で「日本武尊の妃(弟橘媛)」とする伝承・一説が見られることを挙げましたが、具体的な書名として「いずみのくに今昔物語」を挙げられていなかったため、補足として承知しました。 この書が和泉国(泉州)の伝説・史跡を集めた郷土文献であれば、地元伝承をまとめたものとして、同一視の文献例に加えるのが適切です。記紀などの古典には直接の記述がなく、あくまで地方伝承・神社縁起系の文献に見られる説である点は変わりませんが、ご教示いただいた資料名を踏まえ、文献例として挙げておきます。 もし該当箇所の詳細(ページや具体的な文言など)がわかれば、さらに正確に参照できます。

 

堺大仙著 大阪府泉北センター

確認できました。該当文献は、堺大仙(さかい・だいせん)著『和泉のくに今昔物語―伝説からニュータウン、新空港まで』(1988年刊)です。大阪府立図書館などの蔵書情報でも確認でき、泉北地域(大阪府泉北センター関連の郷土出版とみられます)の伝説・史跡をまとめた郷土書です。この中で、多治速比売命を日本武尊の妃・弟橘媛(弟橘比売命)と同一視する記述があるとのご指摘どおり、地元伝承を記した文献例の一つとなります。これまでの情報を整理すると、多治速比売=弟橘媛とする文献・資料は主に以下のような郷土・神社縁起系のものになります:

  • 堺大仙『和泉のくに今昔物語』(1988年)
  • 多治速比売神社の由緒書・社頭掲示
  • 一部の郷土史・巡拝記(例:土肥俊夫関連の記述など)
  • 近世の『和泉志』『式社考』などに見える「一作橘姫、乃日本武尊妃」といった記述(ただし批判もある)

記紀などの古典には直接の記述がなく、泉州・和泉国の地方伝承として伝わる説です。ご教示いただいた書名でより具体的になりました。ありがとうございます。

多治速比売は弟橘媛と同一人物。

 

多治速比売(たじはやひめ/たじはやひめのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ/弟橘比売命)は、一般的な記紀神話や標準的な解説では同一人物とはされていません。それぞれの基本情報

  • 弟橘媛(弟橘比売命)
    『古事記』『日本書紀』に登場する日本武尊(ヤマトタケル)の妃。穂積氏の忍山宿禰(おしやまのすくね)の娘とされ、東征の途上、相模から上総へ渡る際の走水の海(浦賀水道付近)で海が荒れたため、自ら海に身を投じて海神の怒りを鎮めた悲劇のヒロインとして知られます。死後、その櫛が流れ着いたなどの伝承があり、関東各地に関連神社があります。常陸国風土記では大橘比売命や橘皇后とも表記されます。
  • 多治速比売命
    大阪府堺市南区の多治速比売神社(式内社、旧郷社、通称・荒山宮)の主祭神。延喜式神名帳に記載される和泉国の古社で、創建は宣化天皇の時代(530年頃)と伝えられます。記紀には登場せず、地元の土着神・地主神としての性格が強いとされます。語源の「たじはや(敏速・手速)」から、災難を素早く払い福を招く開運・厄除け、縁結び、安産などのご利益で信仰されています。付近の須恵器生産や多治比氏(多治比氏)との関連が指摘されることもあります。

同一人物説について一部の地元伝承や考察(堺市南区関連の郷土資料など)で、多治速比売を「ヤマトタケルの妃であった」とする言い伝えや、弟橘媛のように身を捧げた女性神としての類似性を指摘するものがあります。ただし、これは公式の神社由緒や百科事典・学術的な標準解釈ではなく、あくまで地域的・推測的なものです。

  • 氏族・出自が異なります(弟橘媛は穂積氏系、多治速比売は多治比氏・地元関連が有力)。
  • 登場文献が重なりません。
  • 神社側の公式説明でも、記紀の弟橘媛と同一とする記述は見られません。

結論として、神話・歴史上の定説としては別人です。類似した「献身的な妃・女神」のイメージが、後世の伝承で重ね合わされた可能性はありますが、証拠に基づく同一人物認定はなされていません。