人が労働して得るものは何だろうか。
世の人々は一体なぜ、来る日も来る日も働いているのだろうか。
「嫌だ」「行きたくない」とSNSに本音を漏らしたりつつ
なぜ多くの人は20代から60代の大半の時間を労働に費やすのか。
そこまでして求めるものは一体何なのだろうか。
多くの有識者はきっとこう答えるだろう
「金だ」と。
それはおそらく正しいのだろう。
人が生きるためにはお金が必要であり、お金を稼ぐ為に人は働く。至極真っ当である。
「労働」を辞書で引くとこう書かれている。
"体を使って働くこと。特に、賃金を得るために体力や知力を使って働くこと"
辞書に書いてあるのだから間違いない。
「分からないことがあれば辞書を引きなさい」と言われて育ち、辞書にちょっとエッチな言葉を見つけてはキャッキャウフフと喜んで青春の日々を送っていた我々世代にとって、辞書への信頼は絶対である。
やはり人はお金を得るために労働しているのだろう。
…
本当にそれだけだろうか?
生きる為、お金の為だけだったら
人はあんなに頑張れないと僕は思う。
数ある職業から今の職を選んだのには少なからずそれぞれ理由があって
お金に加えて
やり甲斐とか、
人の役に立つ喜びとか、
実現したい自分の姿とか、
大切な人との時間とか、
夢とか、
そう言ったものをその仕事の中に見出しているから、人は毎日頑張れるのではないかとかいう良い感じの話は一旦置いておいて
うん、今日僕が話したいのはそういう話ではなく
今日僕はですね
新たな一説を提唱したいと思います。
人は何の為に働くのか。
人は、休む為に働いているのではないだろうか。
休む、つまりは休日。
休日が嫌いという大人に僕はまだ会ったことがない。
曜日別の好感度で言えば金土日がトップ3で、月曜日が最下位という構図は僕が生まれてこの方覆ったことがないだろう。
月曜日の朝は憂鬱な顔で職場に向かい
金曜の夜は居酒屋で狂喜乱舞する
社会人とはそういうものだと、塾のアルバイトの先生が言っていたので間違いない。
みんな、休日が好きなのだ。
そして休日というのは、働いている人にのみある。
働いていない人のそれは休日ではなくいつも通りの一日なのだ。
働いたからこそ、休日に幸せを感じる事ができる。
あれだ
サウナと一緒だ。
熱いところで我慢するからこそ水風呂と外気浴が気持ちいい。
人はみんな我慢してから解放されるのが好きなのだ。多分人は皆ちょっとMなのだ(ひどい偏見)
これだけ世間でサウナが流行っているのは、きっとサウナの仕組みが休日の仕組みと酷似しているからだろう。
つまり僕が今日言いたいのは
休日って良いねって事です。
4月5月とノンストップで働いておりまして、6月に入り久しぶりに台本も抱えずゆっくりできています。
先日は元同僚と久しぶりにお酒を酌み交わしたり
これまた元同僚と美味しいお肉を食べたり
一日中温泉施設で体の疲れを癒したり
仲良しの磯野の大ちゃんと最高の朝食を求めて朝5時からドライブして行ったりしました。