一つの袋の中に二つの「命」。また、消えてしまうかもしれない、失うかもしれないという怖さ。自分の中で喜んだりは出来なかった。職場にも、もちろん言わなかった。夜勤も変わらずやっていた。そんなママの葛藤とは関係なく、二つの「命」は「拍動」を始めた。「生きているよ」って言い始めた。二つとも拍動を始めた時に、「生きている子どもを抱けるかもしれない」と思った。つわりもきつくて水さえも飲めなく点滴を自宅でつないだ。吐きすぎてのどから血が出た・・・そんな時に日勤の後に横になっていると、パジャマのズボンが急に温かいお湯をこぼしたかのような??そんな感じで濡れた。出血してしまった・・・「あちゃーーー」また、ダメだったか・・・職場に言わなくて良かった・・・最初に思ったのがこの思い。「またか・・・」流産慣れといったら悲しいが、もう慣れてる自分がいた。それでも、すぐに、大谷先生に連絡したら、明日から注射の追加処方が・・・それでなくても沢山注射しているのに、さらに追加・・・筋肉注射だったような。次の日に受診すると、二つの命はしっかりと拍動を続け、出血は止まっていた。職場には妊娠したことを告げ、「切迫流産」で休みを頂いた。「双胎」とは産まれるまで言わなかった。そして、一卵性双胎の管理をどこの病院でしてもらうか??決めなければならなかった。近くに「北里大学病院」がある。しかし、あえて「神奈川県立こども医療センター」にお願いすることにした。この半年前くらいだったどうか??「日本胎児治療学会」という所で「胎児診断」を受けた体験者として発表したことがあった。その時にここのスタッフと関わった。とても印象が良かったのだ。だから、迷わずに「こども医療センター」にした。そして、この決断は間違っていなかったと「もやもや病」が発見されるまで脳出血を起こさずに経過していたことが証明してくれている。さて、12週くらいから初診で「こども医療センター」にお世話になった。担当は部長の石川医師。とにかく、温厚な優しい優しい優しい・・・・医師であった。何となく最初から大きさに差が生じていた。「右」が小さい供血児。「チビ助」と呼んだ。「左」を大きい受血児。「デカ助」と呼んだ。つわりはだんだんひどくなり、結局17週の妊婦健診でそのまま管理入院となった。でも吐きすぎて頭も痛くて血圧も高くなってしまって、不安で「入院」と言われた時にホッとした気がする。私の4か月に及ぶ長い入院生活の幕開けであった。